ディープな話を好物にミニマムな人生を目指して
18 1月
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twitterで結構評判が良かったので、「アバター」を3Dバージョンで見に行ってきました。
結論から言うと、「3Dとここまで相性のいい話ができるとはすげぇ」。
あまりにも気になったので、無料でダウンロードできる英語版脚本(via @yhassy)を眺めて、いろいろ考えてる最中です。
というのも、twitterで言ったことの再掲になるんですが、英語圏以外の世界を比較的丁寧に描くために、英語のレベルを下げている意図があるんですよね。
これは、脚本読んで確信したのですが、こうやって「英語圏以外に伝わる英語」で出来た台詞作りをしていくことで、ナヴィという先住民族が、文明の進んだ「人類」よりも精神的には強い、精神文化が進んだ民族であると表現することに成功してるわけです。
言葉が貧弱な時こそ、より真実を語ろうとする言葉の力を映像に載せることで、映画の力が増すという、非英語圏ではわかりやすい映画表現の法則を英語でやるとどうなるか、その一番の例になるはずと将来思います。「スターウォーズ」なぞ過去の映像だと言わんばかりの、新しい物語の地平に今ハリウッドは立っているわけです。
そして、3Dは「アバター」に何をもたらしたか、というと、映画世界空間への圧倒的な感情移入を強制的に要求し、世界にのめり込ませるというバーチャルリアリティの夢をついに叶えるという偉業をもたらしたのです。
これまでも、3Dで作られた映画はいくつかありました。しかし、これらの作品は心に残りませんでした。さて、この作品群には何が足りなかったのでしょうか?
答えを言うと、3Dを「物理的インパクトを与える効果」以上の使い方をしなかったから、映画単品としては心に残らない、凡庸な作品として記憶されたのです。
その点、「アバター」は3Dを「パンドラという異星を完全に表現しきるための効果・ガジェット」と割り切り、その世界観に入るための脚本作りに力を入れた点に、これから先の映画作りに指針を与えたといえます。
3Dの恐ろしさは、虚構の世界をリアルに作ることが出来ることではなく、虚構の世界にリアルにいる我々を引き込むという本質に、やっと作り手側が気づいたという話。
50〜60年代の日本のちびっ子が、ウルトラQやゴジラにリアリティを感じたのと同じ感覚をいい歳こいて得ている自分たちは幸せ、なんだろうと思いますね。
13 1月

去年の秋からクラッシックブームで図書館やレンタルショップで片っ端からCDをあさってる私ですが、こんな私に天からラジオが降ってきました。
その名も「Ottava Con Brio」。
深夜仕事に疲れてた頃、ネットラジオで「伊集院の深夜の馬鹿力」を寝ラジオして聞いてたのですが、中々寝付けず、衰弱していこうとしたその時。
少し暗めのコーラスとともに、癒し系の声が耳に入りました。
なんか気持ちいいなあと思ったら、優しいリクエストとともにクラッシックが。
時には誰でも知っている曲、時にはマニア過ぎてCDも探せないもの。
いつも深夜起きてるわけにはいかないので、辛いなあと思ったら、なんと「ネットのオンデマウンドで聞ける」じゃないですか。
そして現在、仕事用のWin機の指定席になっています、こんぶりお。
コンブリオの面子「ブリメン」の仲間入りです。
金曜日の森さんのオトナテイストも好きですが、なんといっても「しげる」こと斉藤茂ミュージックデレクターの癒しアナウンサー的なボイスにやられています。
基本静かな感じだけど、お茶目するときはとことんする、的なキャラクターに、特に絵関係やってるときの栄養ドリンクになっています。
レギュラーで聞き始めてまだ3ヶ月くらいですが、今年がショパンイヤー、去年がメンデルスゾーンイヤーとかこの番組聞くまでは知るよしもなかったなあ。
最近はコンブリオの楽曲一覧を見て、もう一度聞きたい曲をメモ用紙→ipodtouchや手帳に転載させて、CD探しの指針にしています。
ここんところ、体をこわして気が相当弱ってただけにこの番組にはお世話になっています。
てか、コレがなかったら酷いことになってたと思う。
ネットストーミングは運営が大変と言うことですが、コンブリオに限らずオッターバの関係者方々にはがんばって欲しいと思います。