nagisanの記録

    2005年4月30日

    追い詰められるという事

    JR尼崎の脱線事故でなくなられた方のご冥福をお祈りします。

    とのっけから重い感じなんだけど、運転手の県に関して思うことがあったから。
    話によるとこの運転手、経験が浅く過密ダイヤのプレッシャーが強かったらしい。
    私も昔、仕事で追い詰められる事が多くて(多くは自分の至らなさによるものだが)自己嫌悪に良くなったものだ。ミスもたくさんしてきた。
    確かにプロの仕事というものはあると思うが、そのための育成時間というのが無さ過ぎたのではないか。普通、回送列車とかで経験つむだろ。

    大きな任を背負う事のプレッシャー。運転手がどこまで追い詰められていたのかは定かでない。

    ただ、過密な社会が今回の事故を引き起こしたような、そんな文明批判を感じるのだ。

    2005年4月24日

    刹那主義の詩

    2ch・waqwaq(藤崎竜)スレから採取。このスレ哲学とか飛び交っていて、面白いっす。

    つまり世界も、それを構成する物事も、生物も
    それらが辿る時間も、すべて予め定められたものであり
    それはどこからともなく流れ続ける。
    人間が「自分の人生だ!」と生きたところでそれすら自由ではない。
    それを知った時、世界そのものと存在を呪うか
    それを創造した者を知り、すべての存在意義を悟ったと恍惚に浸るかのどちらかってことだろう。

    このことは刹那主義の詩を綴った11世紀ペルシャの学者オマル=ハイヤームが興味深い。

     われらが来たり行ったりするこの世の中、
     それはおしまいもなし、はじめもなかった。
     答えようとて誰にはっきり答えられよう──
      われらはどこから来てどこへ行くのやら?
     
     あることはみんな天の書に記されて、
     人の所業を書き入れる筆もくたびれて、
     さだめは太初からすっかりさだまっているのに、
     何になるかよ、悲しんだとてつとめたとて!

     われらは人形で人形使いは天さ。
     それは比喩ではなくて現実なんだ。
     この席でひとくさり演技をすませば、
     一つづつ無の手筥に入れられるのさ。

    2005年4月21日

    ち、また陰性症状か

    某武装錬金の行く末にショックを覚えていたら、体調まで崩しちまったたい。
    陰性症状ってホントに廃人への道を歩んでいるような気がするよな。
    家から出るのもだるい…というか間食で太りたくないというのが真実。
    夢にしか、私の安堵の地はないのでしょうか。

    あがけるものならあがいてみたいが、果たして体調が持つかどうか。

    2005年4月17日

    1kg減ったぜ、ベイビー

    そのとおりな話です。
    というか、個人のダイエット話なんて聞きたい人などいないだろうに。

    私の場合、不摂生がたたってのものなので、努力すれば何とかなるみたいです。
    というか、個人の生活の話なんて聞きたい人なんていないだろうに。

    しかし、普段から気を使わないと、気が緩んでリバウンドになるので注意、注意。
    というか、この繰り返しネタ、くどいと思いますね、本当。

    2005年4月16日

    呼吸が…

    ジョギングを始めたがいいが、終わると息がまともにできない。
    ヒューヒューとまるでダースベイダーみたいな呼吸で頭に酸素が行き渡らない。
    ダイエットのためには、ジョギングは必須条件なのにこれでは先が思いやられる。

    ちなみに体重計を計ったら0.2kg太ってました。

    げ、これでは恋もままならないじゃないか(恋をしたいのか、お前は)

    とりあえず、無理をせず、20kg減目指してみます。
    なんかいいアイディアあったら教えてちょ。

    フォトンベルト

    オカルト業界(んなもんあるのか)のなかで最近注目を浴びているのが「フォトンベルト」という現象です。話によれば2012年12月23日にこのフォトンベルトが地球に突入し、人類が次元上昇するのだということです。
    次元上昇というのが、新人類好きな人々には魅力的なのですが、はたしてどんな形になるのか素人にはわからずじまいです。
    中には「そんなものありえない」という方がいてリンク集を貼ってみたのですが、少々の夢をもっててもいいんじゃないの?というのが現在の私のスタンスです。
    ただ、次元上昇に関しては、なんだかイデオンみたいな破滅のイメージもあるので楽観視はしてないのですが…
    これも自分の「セカイ系」願望の表れなのでしょうかね。

    2005年4月15日

    プロフィール

    気づいたらこのブログ、自己紹介がなかったあるよ。
    しょうがないので、前の前略プロフと近況を書いて、最近始めたmixiのアドをつけて急ごしらえ。

    最近、寂しい日々を送っています。誰か友達カモーン!!
    (敷居の高い日記で言うものではない)

    突然ダイエット日記

    いよいよ体重が女性として半端ないほど太ってきたのでダイエットを決行。
    まずは朝晩のランニング・腹筋30回から始めている。
    あとは、昔やった際に成功に導いた減肥茶も飲む事に。

    うまくいくといいのだけど。

    目指せ、20kg減!!(そこまで切羽詰っているのだ)

    一時期、統合失調症の陰性症状で一歩も出れなかったのが体重増加の促進を促したらしい。この体重、浪人時記録したけど、もうやだ!!
    というか、他人に見せたくないよ!!!

    ということで暇さえあればお茶を飲んでます。カテキン式。

    2005年4月13日

    タブレット欲しい

    ヴィクター化カズキ…荒いね本当に欲しくてたまらない。
    最近、別サイトの登場人物紹介のためのラフを切っているのだが。そのさいマウスというのが。うっとうしく感じる。

    あーーーー!これがタブなら綺麗に書けるのにぃ!

    ということでただいま、フォトショ練習中でございます。描くごとに勉強する事が一杯で体が持つのかしらん。

    あと、武装錬金の連載順がいつもハラハラしている。良い漫画だと私は思うのだけどなあ。古き良き時代の安定さ(いや変態は新鮮なんだけど)があって毎週たのしみににしてます。

    ということで、画像はカズキと斗貴子さんなのでした。わからん人は単行本買ってちょ。

    2005年4月12日

    桜の心象風景(後編)

    05-04-12_16-521.jpg雨の中行って来ましたよ、桜。
    完全に満開で、花見するにはいい感じ。お酒が欲しいですね。

    しかし、去年ほど感慨はない。ただ桜がそこにある、それだけの事だ。

    理由はこの美しさを共有する人間は今いないから。せっかくの美しさも半減してしまう。
    共有する人がいてからこそ、この美しさは映えるのだなあと、雨の中を一人寂しく歩いていました。

    2005年4月11日

    まとまりません

    今、サイト変更のためいろいろとやっているのだけど、ぜんぜんうまくいかない。
    イラストもマウスだけでやっている上、久しぶりのフォトショなんで、うまくいかない。
    ストーリーも登場人物を纏め上げる事が出来ずに宙ぶらりんになっている。
    オカルト的要素とかも一杯入れたいのに、思うように人物が動いてくれない。
    しかもメモ代わりにはてなのブックマークを始めたら、どつぼにはまってしまいました。これは、お気に入りのウェブ板として、家以外のネカフェなどでもPC扱う人間には便利な機能だけど、ブックマークしておしまいになる恐怖があるような…

    いや、使って見せるぞ。私は。

    しかし、小説が進まないのはほんとヤバイ。
    えーん、だれかサイト作る才能ちょうーだい。
    よんでも頭に入らない今日この頃。

    桜の心象風景(前編)

    去年の桜これは去年撮影した桜の画像です。このころは派遣の仕事で輝いていた記憶があります。桜も非常に美しく、一杯酒でも飲もうかと思うほど元気でした。今振り返ると仕事というものは、人を鍛えていたのだなあと、現在無職の私は思います。
    あの頃には出来ていたことが今は理解できない。ここにも天井の悪夢がよぎっています。三十路というのは、若者が思っているほどに切羽つまされる時期なのです。

    今年の桜ももう満開になってきました。

    今年の桜をみて私はどうおもうのだろうか。そのために明日今年の桜の画像をリハビリ代わりに取ってみようと思う。本当に桜というのは美しいものなのか、自分なりに考えてみたいと思うから。

    2005年4月 9日

    セカイ系

    最近、といっても90年代より流行っているというこのジャンル。
    まずは、よく使っていいる「はてな」のキーワードから。

    過剰な自意識を持った主人公が(それ故)自意識の範疇だけが世界(セカイ)であると認識・行動する(主にアニメやコミックの)一連の作品群のカテゴリ総称。

    「新世紀エヴァンゲリオン」「ほしのこえ」「最終兵器彼女」などがこれにあたる。

    きみとぼく←→社会←→世界という3段階のうち、「社会」をすっ飛ばして「きみとぼく」と「世界」のあり方が直結してしまうような作品を指すという定義もあるようだ。


    何故社会をすっ飛ばしてすぐに「セカイ」へと行きたがるのか。これはオタクの発生、いやテレビなどの大衆文化のバーチャルリアリティ化と大きく関係している。実はこのカテゴリ、恋愛関係の小説の好みまでかかわる大きな問題で、実はオウムのやばい部分がこのセカイ系の発想とつながっていたりする。

    なぜ社会が欠落しているのか?

    社会は子供の世界には関係ないからである。

    関係のない世界よりは遊びなれた空想のセカイのほうがリアルだ。だから、たとえば弱い自我では世界の崩壊を簡単に夢見る事ができる。他者が介入しなくても生きていける現代に増えるのはごく自然のことである。もほや最近のアニメは現実を描写する事を放棄している。そうでは売れないからだ。マトリックスのごとく消費者でありつづけるユーザーにとって現実とはうっとしい世界にすぎないのである。
    誰だって夢は見ていたい。甘い夢を見つづけることが出来るのが、実は今の社会構造の中心なのである。

    自殺できなかった私は何処へ行くのか

    こわれぶろぐ様の記事を見て自分の過去と照らし合わせてみた。

    小学校のとき母親にお風呂に入れてもらえなくて「ばい菌」だの「へまい」(本名が「いまい」なので)とかいじめられるのが日常茶飯事だった。
    この記事と同じ事をまさに私もやられていたわけで。
    机の引きはなしも、手をつないでくれないことも、手紙を黒板にはられたことも、階段から突き落とされそうになった事も皆事実である。

    おかけで基本的に他人が信じられない人間になってしまった。

    近年、コンタクトレンズを買いに行った時小学時代の知人が当たり前のように「あーおひさしぶりねー」といった笑顔の奥で私は殺意を覚えていた。

    この恨みはらさずべきか。

    おかげで現在も他人の悪口を言われているような、いや実際に幻聴に襲われているせいで職もままならない日々が続いている。

    時には自殺したいと思って薬を大量に飲んで他人に迷惑をかけた事がある。
    ゆがんだ自分を消し去りたかったのである。

    でも、死ななかった。

    この先、自殺も出来ない自分は心を捻じ曲げたまま何処へ行くのだろうか。

    2005年4月 7日

    被害妄想とフリーメイソン

    フリーメイソンという秘密結社があるということはオカルトに興味のある人なら誰でも知っている(?)と思います。実際この団体、秘密であふれていて突っ込み外があるのですが、今日はそうではなくて、フリーメイソンという団体が及ぼす精神的影響を考えてみたいと思います。

    続きを読む "被害妄想とフリーメイソン"

    自分の天上が見えてくる恐怖

    最近、この傾向が強くて焦りを覚えている。

    何もかもが限界で、ちっぽけな自分には何も出来ないのだという焦りが全体をおおう。
    対抗して何らかの本を読んだり、絵を書いたりするのだが、なんか自分のイメージと違う気がしてかなわない。

    所詮、自分の実力なんてこの程度のものだろうか。

    「あせるな」というのとは違うこの感覚、わかる人はいるのだろうか。

    後悔先に立たず。あの時こうすればよかったという思いが募っている。

    どうして人は物語を欲するのか

    データが消えたのでもう一度書き直し。

    人間というのは物語無しでは生きられない。
    時には、人々を癒す安らぎの種であり、時には自分の気持ちも奮い立たせるための起爆剤である。

    動物にもある種のルールがあるが人間のそれは、それが無ければ自分のアイデンティティが失われるほどの重要性を持っている。
    物語の中には、たくさんの人々が虚構の世界の中で「生きている」。
    その中で、自分のさまざまなウィークポイントを浮き出しにし、それからある種の感動を得る事ができる。

    つまり、嘘の存在でもいいから、人間は一人ではいきていけないのだ。
    自己実現も他者の影響無しでは生きられない。

    ここまで人間というのは業の深い存在なのであろう。

    2005年4月 5日

    また無茶をしようとしたらやられました

    たく、なんて要領の悪いやつなんだろうね。

    自分でも腹立たしいわ。
    なんで、物覚えが悪い上に不器用なんだろうね。


    あ、個人的な愚痴なんで気にしないでな。

    オカルトという非日常

    日常私達は、日々平和な日々を送っている。
    世界が明日終わるとか、天変地異とか、あるいは身内が危険な目にあうこととは滅多に無いはずだ。

    それでも、目に見えないもの、されど感じるものソレにまつわる違和感というのは人間の有史からいろんな場で見かけられてきた。

    それは何でも見える今日でも例外ではない。

    人間が心の中で不安を感じているうちは決してなくなることの無い超常現象。

    どれくらいの距離感で見極める事ができるか、狂気と正常の境界になろのだろう。