nagisanの記録

    2005年5月31日

    2ちゃんねる論ふたたび

    「ふたたび」と書いたのは昔似たような内容を別のところで書いたからなんですが、ここらでチョット変化が出てきたのでもう一回書いてみようかと。

    まずは身近な環境の事から。
    実は妹も2ちゃんねらーなんだが、どうも私と見ている板が全然違うのである。
    私はどちらかというと、ネットwatch板やら殺伐とした環境の板を好んで歩く。
    いわゆる「ネット晒し挙げ祭り」に参加するのが楽しい人格の捻じ曲がった人間である。(性分だからしょうがない)
    しかし、妹はほのぼの板やら馴れ合いの整った穏やかな板を中心に活躍している。
    最近までやっていた「板別人気トーナメント」みたいな明るめのお祭りに参加している。

    そしてそれをふーんと温かく見ている私がいる。

    前回と大きく変わってきたのは、規模の拡大に伴い2ちゃんねらーの定義がむずかしくなってきたということである。例えれば援助交際の層が拡大して、普通の女の子でもやっている、そんな印象を受けるのだ。これの要因には、板やAAが色々と多様化し、今までは少なかったはずの女性層や若者層をうまく取り込んできたのと、やはりブロードバンドの普及が大きいと思う。

    ただし、あくまで「文字のコミュニケーション」。ネタかどうかの判断が出来ないものにとっては扱いにくいコンテンツであろう。実際、未だに「2ch=怖い」の構造の考えを持っているものも少なくない。
    それでも、エキセントリックでない層も取り込んで、どんどん2chワールドは広がっている。近年ではログを元にした恋愛ドラマがメディアミックスされるなど活躍も目覚ましい。

    しかし一方で、私のような負の感情のはけ口としてアンダーグラウンド的な使われ方も一勢力として存在する。これを否定するものもいようが、人間が純潔でない存在である以上この手の世界は必要悪として存在する必要がある。
    ただ勘違いしないで欲しいのは、2ちゃんねるで革命は出来ないという確信である。一つには、匿名性(IPはとっているだろうが簡単にはわからない)からくる責任の回避能力により、中心人物がいないということである。もし、コテハンなど名乗って煽動しようものなら、「無名の名無しさん」たちに相対化されて転落してしまう。どんな立派な作家が書いたところで、ここはあくまで便所の落書きにすぎないのだ。それを忘れたものは大きなしっぺ返しを食らう。

    一番いいのは、ROMしつづけていいものをいいものをこじきの如く漁る、こんなスタンスで私は渡り歩いている。それも一つの楽しみである。

    2005年5月30日

    愛・地球博

    えっと、チョット今ごろって感じもしますが、「愛・地球博を応援するプロジェクト」にいっちょ乗ってみる事にしました。
    以前は、「モリゾーとキッコロの休日」をリンクしていたのですが、こっちの方がインパクトがあって変えてしまいました。


    愛知万博の知名度向上プロジェクト

    こちらのほうも暇があれば寄ってみてください。

    というか、一度遊びに行きたいよ!

    最近長文かき

    最近、書くことの快感に目覚めたせいか。やたら長文だ。
    ちょっと、理由があって昔のサイトのアーカイブ見たら、なんと短文だったんだとびっくり。

    たぶん暇だから長文かけるんだろうな、と自己分析。

    でも、肝心の小説には入れない。駄目人間。

    2005年5月28日

    カルトの子

    カルトの子―心を盗まれた家族
    カルトの子

    米本 和広 (著)

    両親あるいは片親がカルト(社会的に有害だと思われる宗教・団体)にハマってしまったために、受難の人生を歩んでしまった子供達のルポである。
    よく、子どもは親を選べないとか、どの親に生まれるかによって人生の何パーセントかが決まってしまうという俗説があるがこの本はそれを完全に証明している。なぜなら、子どもというのはどうしても親の価値観の影響を避ける事が出来ないからである。そして、歪んでしまった価値観の下で育ってしまった子どもは「学校」という教育の場で、親から譲り受けた世界と戦わざるを得なくなる。なぜなら、親自身が何らかの理由でもともとの世界から逃走し、カルトの世界へ逃げ込み自らの考えを教祖様へ預けてしまったからである。
    そして、自らの手で親の下を離れた子どもも、親のコピーの如く他人やその子どもへ接してしまう事に苦悩する。それしか、感情表現の手段を知らないからである。時には破滅的人生を送るものや、再びカルトの世界へ没入していくものも少なくない。

    こんなに情報があふれているはずどうしてという意見もあろうが、個人が絶対に信用できると考える情報量というのは実はそんなに多くはないものである。多くの情報は「よそ様の事だから」「私には関係ないから」の理由で、意識的無意識的にしろ心の中で弾き飛ばしている。
    だから、発信者であるものたちはいかにして「信用してくれるか」に力を注いで情報をコントロールしている。(それが独裁的になってくるとカルトの構造そのものなんだけどね)
    カルトの世界観から生まれた子には、「信頼」という概念が無い。あるのはそのカルトに殉ずる為の「服従」であり、信用なんて言葉は「ユートピア」(最近、この概念も胡散臭くなってきたのだがこうしか表現のしようがない)の達成のための口約束に過ぎない。精神科医あたりだと、人格障害じゃないかという意見もあろうが、この場合そもそも生まれ持った世界観が完全にずれているのだ。
    大人になってからのカルト信者と違って、問題が後々まで残るのは誤った積み木をいったんボロボロまでに完全に崩さないと、再構築が出来ないからだ。かなりしんどい問題だが、それでも、人生は続いている。だから、一般人の何倍かの受難を彼等は引き受けている。


    本当の信頼を取りもどす戦い、それこそがカルトの子供達の戦場なのである。

    2005年5月27日

    中村うさぎとつっこみ小人

    えーと、この人のイメージといえば、散財と整形の作家というところでしょうか。
    でも、今週の文春は結構面白かったなあ。

    人間というのは大抵自らを相対化する「つっこみ小人」みたいなのがいて、大抵は調子に乗りやすい人間を律しているわけで。
    それが視野狭窄になって「つっこみ小人」が強くなるとうつ病になり、逆になると「病的ナルシスト」になるか「他罰的な人(この人は連合赤軍というとんでもない怜を持ち出したが、実際「困ったチャン」な人はこのカテゴリーに入るでしょう)になるわけで。

    この人も金遣いの荒さなど一時期行くとこまでイッてしまった感があるけど。突き抜けて菩薩の領域に入ったのですかね。
    なんだか、ほっとしました。

    まあ、ボケ老人を労わろういう気持ちはわかるけど、いざ身近に化け老人が居ると厄介な状態になるのは正直な意見だわな。

    たたかうおんな

    女性が管理しているサイトを回っているとよくこの文句が出てきます。

    「私は~と戦っている」

    最近、思うのですが女性が戦って果たしてかっこいいものなのか、疑問に思えてきます。
    確かに、考えようによっては人生は日々戦いであり、特に社会に出て働いている人は男性に有利な環境の中よくがんばっているなあ、と感じます。
    が、ここでちと気になるのは「本当に戦う女性ってかっこいいものなのだろうか?」ということです。
    というより、戦うよりも大切な事が女性にはあるような気がして仕方ありません。
    「戦う女かっこいい」という、歴史から見たら僅かな価値観のおかげで何かを見失っているような気がいたします。
    男性が戦うのは、他生物から身を守るための闘争本能であり、女性の戦いのように自己の居場所を求めるための自分探しとは全く異なる欲求から来ていると思います。
    ま、その闘争本能が厄介なケースも多々あるので一概には言えませんが、女性の闘争本能というのは基本的には自分勝手なものじゃないかと勘ぐる時があります。

    別に戦う女かっこ悪いといっているのはありません。

    社会に出ると、どうしても戦わざるを得ない状況というのが発生しますから、自分の精神を賭けて戦わなければならない場合もあります。
    が、大抵の場合それはあくまでその人本人のものであり、子どもや配偶者のためではありません。(職場環境がいやなら、転職という手段がありますし、最悪専業化の道も残されています。男性には専業主夫というのはいまだ認知されていません)

    しかし、それよりももっと大事なことが女性にはあるような気がします。
    それがなんなのか、今のところ言語化できないのが私の頭の悪さなんですが。

    でも、「~と戦っている」といっている人を見ると、なんだか憐れな気分になるのは実際本音として感じるのです。

    そう、騒音おばさんのように(オチ)。

    デーモンの孤独

    整理していたらなんかのコピーが出てきたので。メモ代わりに残しておく事にする。

    最大の重し―或る日、デーモンが君の最も淋しい孤独の中まで忍び寄り、こう言うとしたらどうだろう。
     『お前が今生きている、これまで生きてきた、この生を、お前はもう一度、
      さらには無限にわたり、繰り返し生きなけれがならない。何も新しいものはない。
      あらゆる苦痛とあらゆる歓び、あらゆる思念とあらゆる溜息、
      お前の生の言うに言われぬありとあらゆるものが些大もらさず、戻ってくるのだ、しかも全てが同じ順序で。
      ―この蜘蛛も、木の間をもれる月の光も、今のこの瞬間も、私自身も。
      存在の永遠の砂時計は、そしてその中の砂粒にすぎないお前も、何度も繰り返しひっくり返されるのだ。』
     ―君は地に身を投げ出し、歯軋りをして、こう語ったデーモンを呪わないだろうか?
     それともデーモンに、『お前は神だ。これより神々しいことは聞いたことがない!』と答える程の、
     とてつもない瞬間をこれまでに体験したことがあるだろうか?」

    いまじゃデーモン=悪魔だが、ギリシャ哲学ではダイモーン=高位自己、精霊、指導理性なんだよな。
    マルクス=アウレリウスの言を借りれば

    「指導理性とは自ら覚醒し、方向を転じ、欲するがままに自己を形成し、
     あらゆる出来事をして自己の欲するがままの様相をとらしむることのできるものである。」

    しかし、なんでこんなものコピペして保存したのか覚えていないんだよなあ。

    2005年5月25日

    似非メンヘラの思考パターン

    ごめん。もう限界だわ。
    2chの某スレで見つけたものをそのままコピペする。

    うつ病は誰でもかかる可能性がある。かかりやすい人とそうでない人がいる。
    かかりやすいのは、とにかく真面目な人。そして、ちょっと不器用な人。
    人の話を鵜呑みにするような、素直過ぎるところがある人。わかる?
    普通の人には何でもないことがとても大きく響く、感受性豊かな人もそう。
    これらを満たしている人がかかりやすい病気なの。私はうつ病。
    真面目でちょっと不器用で、素直過ぎて、感受性が豊かな人間てことね。
    「頑張れ」禁止。「早く治るといいね」禁止。「困ったもんだね」厳禁。
    ただただ、私の話に耳を傾けて。肯定的な相槌のみ許可。説教厳禁。
    あなたの考えなど興味ないし聞きたくない。余計な入れ知恵しようとしないで。
    腹にイチモツとか持たれても、すぐ気付くんで。そういうトコ敏感なんで。
    私がブルーな時は、じっと黙って私からの指示を待って。何も働きかけないで。
    良かれと思ってやることの全てが迷惑な時もある。それぐらい分かって。
    言うまでもなく、その場を黙って離れるのは「死ね」と同じ意味だから厳禁。
    ひたすらそこにいて。必要になったら話しかけるんでヨロ。
    でも、こちらがそういうことを口に出したら、ちょっと傲慢に見えてイヤ。
    だから言う前に察して。そしてベストな動き方を瞬時に判断し、手際よく実行して。
    気を遣っている素振りは決して見せず、飽くまで自然に。こっちが負担に感じたら、
    それは失敗だから。心して取りかかって。1回の失敗が命取りだから。
    そんなわけで、私はうつ病。
    弱肉強食の世界で、自力で飯は食えないけど、
    自分はVIPだから特別に食わせてもらうんで、全面協力ヨロ。
    なお、傷つきやすいので決して罵倒はしないで。
    嫌な顔も禁止。
    イヤミなど言語道断。いつでも誠意を持って、しかも笑顔で協力。
    義務だから。
    内心イヤなのに作り笑顔とかされても、こっちすぐ見抜くから。
    そういう力あるから。
    それと、私たちを理解するために、常に全力を尽くしなさい。
    決してサボらないで。
    もし理解できた人は、私たちの気分を損ねたりは決してしない。
    する筈がない。
    私たちの気分を害する人は、すべからく理解していない人。
    そして、私たちを理解しない人はすべて悪人だし罪人。
    よく覚えておいて。
    一度の失敗・一度の失言が、どれだけ私を傷つけるかよく考えて。
    徹底ヨロ。
    あ、言っておくが、こっちはあなたを理解する必要もないし、
    努力もしないんで念のため。

    こういう馬鹿がメンヘル気取っていると思うとこっちが鬱になりそうだ。
    もともと、気を使いすぎて鬱になるのがパターンなのに、それを自分の我が侭がもたらすトラブル傾向を勘違いして自意識を膨らます奴が最近多くなってきているような気がする。本当にこっちまで気がめいるよ。
    またさ、さも障害者ですよーって障害手帳を見せびらかすものも止めて欲しい。認定した役人が可哀相になってくる。

    ともかく、本当の精神障害者には近づかないで欲しい。マジ。

    だめだ。

    ここのところ何となく「ここにいてもいいんだよ」系のサイトやコニュニティがどうも駄目だ。

    ここに居る連中がサイト主や「仲間」に甘えてべッタンコという構図が頭にきてたまらないのだ。
    べッタンコするだけならまだいいが、酷い奴なんかはそれで自意識増長させてしまってかえって症状を悪化させてしまうからタチが悪い。
    確かに、ここにいてもいいといわれないと自我崩壊するときがあるから、必要であるとは思う。しかし、時間が経つにつれて、その馴れ合い感が偽善的に見えてしょうがないのです。ネットなど所詮仮面舞踏会みたいな世界なのに、本音を言えると勘違いした連中がいて腹が立つ。本音が言えるのは2ちゃんねるぐらい(大嘘)で大抵は上っ面の関係でしかないのが現実なのに。また、そういう奴に限って荒らされるとカーとなって「あたしはうつ病なのにい」と甘える。なら、静養してネットするなよと突っ込みたくなる。
    私も昔やっちまったから人のことは言えないけど。
    なら見るな、といわれそうだが、ついつい見ちゃうのだよね。これが。類は友を呼ぶというか。

    ああ、また同じ事書いてしまった!成長無いなあ、私。

    そういえば、余り好きじゃないけどCoccoは落ち着いてきたよなあ。
    悟りを開いたというか、何と言うか。少なくとも、自我を甘えさす人ではなかった。
    その辺は尊敬します、実際。


    2005年5月24日

    いい女は男に困らないのか?

    そういえば、一時期女性向エロ漫画が流行った時期があったなあ。

    それで、私がずっと困っているのが「いい女」イコールたくさんの男と寝ていると勘違いしている有名人で。
    内田春菊とか柳美里とか。あと、本人知らないけど桜沢エリカとか岡崎京子とかの作品群とか。
    あのあたりが頭の悪い女どもに「セックスのできる奴が良い女」という幻想を植え付けた感がある。まあ、そういう女ほど男にいい様にされているのがオチなんですが。
    男にもいえるけど、本当にいい人間って選択するのがうまいじゃないですか。いいものを見抜く眼が養われているというオーラが既に出ていて、付け焼刃のセンスじゃ声さえかけてくれないような上品さがあるような気がする。

    確かにセックスは必要だけど、選択眼を養わないとただの都合の良い女に成り下がるか、逆に頑なまでに処女を守っているような負け犬(この表現って結構差別用語だよな。使えるから私は好きだけど)になっちゃうからなあ。難しいところです。
    柳美里に関してはメンヘラ個人として、南条あや以上に「リスとカッター」を流行らせた罪があるんで、なんだか根源的に許せないところがあるんだよな。作品も年々偏屈的で読みづらくなってきて、辛いです。家族シネマはまあ読めたんだけど。


    なんだかグタグタになってきたけど、いいたいのはさ、精神的に女性器を晒しているような頭の悪い奴にはなりたくないなあという事。一時期それを「進んだ女」とおだて挙げた出版業界の下品さを呪うよ。本当。

    2005年5月22日

    ふとんからでられない

    鬼に呪われたのか、それとも鮫島事件に呪われたのか、あるいはGW中に階段から落ちて後頭部を打ったのが今ごろになってダメージとなっているのか(これが正解)で布団から出られない生活でいました。
    どうやら、このときのショックが原因で体調が悪く持病の五月病とセットでGW直後から休んで…というか長期休養を必要とすると医者に言われてしまい、首になってしまいました。

    寝ている生活というのは、たまにやる分には至福極まりないですが、あまりこれが続くと様々な意味で、人間として取り残されたような気分になってかえって鬱になります。

    はやく、にんげんになりてーーー。

    いや、これは妖怪人間のセリフであって私が言ってもしょうがない。

    はやく、仕事復帰して-----。

    2005年5月19日

    それでもまだ恋愛を信じたい

    「恋愛資本主義」へ、ようこそ @ソゾコラム
    http://d.hatena.ne.jp/zozo_mix/20050514#1116095425

    最近、神話ネタに飽きてきたせいかここの更新がズタズダになっていたんですが、「恋愛」に関して興味深いネタが上がってきたのでとりあげてみようかと。
    一番興味深かったのは「2000年代現代、近代から信仰の要になっていた「恋愛至上主義」がオタクと負け犬の発生に置いて限界、あるいは終焉をおびているのではないか」という「男と女が互いに神の不在の不安を補完しあうという神話の崩壊」をうたっていること。現実の恋愛システムの面倒くささに、まずもてないオタク層が2次元の少女達に自らのロマンティズムを求めて脱落し、バブル期以降の「玉の輿に乗るための恋愛ゲーム」についていけず仕事や趣味に逃げていた負け犬組が三次元に興味を持ち出したオタクの「フツーの人への改造」に燃える…という、「恋愛補完計画」…いや「個人の幻想王国」作りに向かっている構造が見て取れる。
    これはこの文とは関係ないが一方で既婚者やさまよえる若者が出会い系で簡単にセックスをして、それから始まる恋愛物語にはまってしまい簡単に離婚という…シナリオももうありがちな話になっている。

    確かに80年代のマニュアル主義のような「恋愛至上主義」というのはこの時代絶滅してしまったのはもう間違いの無い真実だと思う。

    けど。

    この風潮全体に共通するのは「自らの欲望を優先させる」という本能である。形はどうであれ「自分の理想の恋愛を成り立たせる」ことに頭がいっぱいになっている。つまり、従来の恋愛ものにありがちな「お互いの人格が尊敬しあえるようになる」というプロセスが完全に抜け落ちているのだ。一言で言えば即物的というか、簡単に他人を判断してしまっているというか。
    なんか電波男も負け犬もやりまくりの人も人間を見る目がいまいち足りない、そんな気がするんだよね。汚い面を見すぎてスレてしまっている、そんな感じを受けます。(ま、人間の陰湿さは本当に凄まじいものがあるんだけど)
    どちらも共通して性欲という本能の問題には、触れたくないというか、理性がストッパーをかけているのかわからないけど、なんか頭で理解しようとするというところがある気がしますね。本当はそこにこそ、恋愛至上主義の要があるのに。なぜ、神はアダムとイブといつ二つの人間を作ったのか、プライドをとっぱらって考えてみてはどうでしょうか。

    案外、愛し合う幸せっていうのは灯台元暗しなものかもしれませんぜ。例え共同幻想であってもそれはいごごちのいいものだと思うよ。

    という私は甘いんだろうかね。

    2005年5月18日

    ブスの憂鬱

    昨日はファビョッてしまいました(笑)

    でも、私もデブスなほうなんだけど、整形までにはいたらないなあ。
    最近は化粧技術も発達しているし、大抵の子は何とかなると思うのね。
    それよりも、「ビューティコロシアム」放映時から思うのはやはり過去にどれだけ他人からブス、ブス言われつづけてきた事が一番の分かれ目だと思うのだよね。
    たいしたこと無い人でも他人から不細工だと言われるとショックも大きいだろうに。
    逆に番長ヅラのヤツは、いつまでたってもそのブスさ加減に気づきもしない。

    そこのメンタリティな分かれ目が整形に向かうかどうかの境目だと思うよ。

    ブスって結局は個人の価値観の問題が大きいと思う今日この頃。

    2005年5月17日

    韓国の整形事情って。(暴言注意)

    「あら奥様韓国では整形率50%なんですって。」
    「見ました、見ました。そんなに顔弄くって生まれてくる子どもがかわいそうですわ。」
    「将来の事より、今の美を取る即物的な国民性がうかがえますわ。」
    「でも、最近は韓流とかいって綺麗な人も多いんでしょ。」
    「いやいや。これを見て御覧なさい。」

    http://hamaniyo.jp/~taz/flash/seikei.swf
    韓国整形事情フラッシュ

    「おほほ。韓国ってこんなのばかりかしら。何か安心しますわね。」
    「私達、日本に生まれて幸せでしたわ。おほほ」

    …てな女性の個人的な嫉妬(というか私の暴言)は置いといて。
    ブスでも自信が有ればもう少しましに生きられるもんだけどね。でも、恐ろしいのはさ、昔私がイメージしていた韓国美人(吊り目系のほっそり系)っていうのがもう絶滅状態(噂では日本ナイズされた美人じゃないとテレビにすら出れないとか)になっているのはびっくりだにゃ。BoAとかテェジュ見て、どう見てもターゲットは日本人としか思えないような美意識だなあと思って。確か、ボアの売りは韓国のアムロだったっけ(記憶違って居たらごめん)。
    ネットの話を五割引きにしても、韓国のひねた日本コンプレックスってのはあらゆる意味で酷いと思う。
    だってちゃんとした国家ならもう少し独特の美意識持っているだろうに。美意識すら植民地化された国があーだこーだ言う資格ねぇよな。
    まず、失われた過去を自らの力で取り戻すのが先だろって感じだね。あ、賠償請求とかというバカげた事じゃなくて、歴史の再認識だよな。韓国の近代史紐解くと南北に分かれたことで南側にも金日成の主体思想にカブれた輩が学問の世界にも生息したせいで、学問の研究が遅れてるみたいじゃないですか。運動に参加せずに研究に没頭するものは非国民みたいな扱いされて。まずはそんな国内の受難者をクローズアップする事からはじめる必要が有るんじゃないですか。

    韓国見てると国民全体がPTSD状態(原因は南北分断による国民性同一不全症候群)に見えてしょうがないっす。北朝鮮は金日成死後すでに発狂しているけどね。

    ブスを金で解決しようとするあさましさが気に食わない管理人でした。

    ついにアーサー王の領域に…

    姉さん事件です!!(HOTEL風に)

    ついに管理人、アーサー王伝説に手を入れ始めましたよ!!「これに手を出すと、収拾がつかなくなるから逃げたい」と常々言っていたあの人がですよ。なんかきっかけはこの前の紹介していた本でアーサー王伝説の挿話、「トリスタンとイゾルデ」ネタでアーサー王が出てくることにビビっていたらしいです。それまでこの人のアーサー王知識はジャンプのゴルフ漫画(?)鈴木央「ライジングインパクト」(話によるとこの人は、夢がアーサー王ネタの漫画化というくらいのファンだそうだ)のキャラの元ネタくらいだったのになんなのでしょ、これは?

    「いやさ、円卓の騎士の設定やエクスカリバーや聖杯など数々の武器の豊富さがさあどうもアレに通じててさあ。もしかして、キリスト神話と騎士話が融合したのかなあと、神話ヲチャーとしての興味から。あとアーサー王ってつかみ所無いけど、エディプス+キリストくらいの受難の持ち主だね。個人的には、トリスタンネタに出てくる友人マーク王が気に入っているんだけどさ。ランスロットがあそこまで好色なのはびっくりしたっす。オレのイメージは「ライパク」のそれそのままなんで。おいらに一番近いのは…パーシバルかな?バカでどんくさいのが自分にぴったりじゃないかと。というか、男かよ!!」

    相変わらず、気まぐれな管理人ですが一応、参考リンクを。


    アーサー王にかんするコラムサイト
    http://www.minic.com/arthurdic/

    「というより、こんなけ話のスケールがでかいのになんで肝心のアーサー王って人物像がつかみとれないんだ??いまどきの主役らしくクールかも知れんが、周りにキャラ食われすぎとちゃうか?神に近いといわれちゃうと納得なんですが…(ぶつぶつ)」

    なんか、アーサー王の人物像に困惑気味です、姉さん(って誰だよ)

    2005年5月14日

    鬼と言う禁忌

    まあ、PCもなおっていざ再開と思ったら、原因不明のだるさに襲われてます。

    実は、家に帰ってからちょっと鬼関連のネタを調べて、いざお話に起こそうとしたら…

    うわあああああ!!な邪気(つまらん言葉だけど)にやられました。

    まあ差し障りのない範囲でいうと、鬼って言うのは平安末期くらいから一般的に恐れられたッぽい感じで(それ以前はすくなくとも「おに」という概念ではでなかった)でして、芥川竜之介の羅生門や酒天童子の伝説なんかもこのあたりを舞台としていますね。
    もしかしてこの時代、本当に「鬼」と偶像化される存在が日本にいた…それも…r(略)
    しかも、あの有名なあの物語がガチだとしたら…

    うわ!なにする!こら!(沈黙)

    かつて様々な人が鬼のネタに挑んで、不幸にあったということが身にしみて解りますね。
    しかも、おいらの場合核心にふれているのかどうかしらんが、お払いも効かないもようで。

    ちなみに鬼の研究サイトとを参考までに。


    「鬼の研究.com」
    http://www.saturn.dti.ne.jp/~hige/
    んじゃ、おいらは本物の鬼から逃げるため、引きこもります。
    というか、コレじゃ普通に仕事できないのよ、正直(かなり精神ぶっ壊れ気味)

    昨日はすいませんでした。

    なんか感情的になってますね。というか、別のところで語れよって突っ込みあり。

    と思ったらこんな記事が。普段ならあっちネタだがここで書く。
    http://www.sponichi.co.jp/society/news/2005/05/13/01.html
    とんだ“王子”「ハーレムつくる」が口癖

    気になったのは、チャットをする際「精神科医で声優」と語っていたということだ。可能性としていわゆるこの手に引っ掛かりそうなゴスロリ腐女子系を明らかにターゲットにしていた感がある。なんかメンヘル入った人があこがれそうな感じでしょ。もしかして別のところではメンヘル語っていたかもしれない。それくらい、ターゲットになりやすいんですよ、この手の胡散臭いタイプに。
    高校の時から王子様名乗っていたくらいだから、酔わせるテクには馴れているだろうし。酔わされる事に慣れてない子が引っ掛かるのもしょうがない。

    というか、酔っている自分にさらに酔っていたのかもしれないですね。自己肥大化のスパイラルにはまってしまった典型ですな。

    あと、昨日書き忘れたけどとかく美しすぎるモノって存外信用できないね。とかく。これは独り言だからどうでもいいけど。あはは。




    2005年5月13日

    どうしてもくすぶってるみたいなので

    最近、某掲示板でとあるメンヘルサイトが槍玉になっている。(その人自身はどうでもいいのであえてリンクはしない)
    つくづく思うのだが、こういう槍玉にあがるサイトに限って「うつ病の人のために助けになれば」という文句がある。
    自分の病にも十分立ち会えないくせにどうして人助けなんてできるだろうか。
    助ける振りをして、自分の依存心の拠り所を求めているだけという事に何故きづかないのか。正直に「寂しいから構って」というリストカッターの方がまだましだ(これも厄介なんだけど)。友達がいればとりあえずは人は安心するものだからだ。悪名高い2ちゃんねらーでも流石に交友関係までは突っ込まないだろう(あきれ返ることはあるかもしれないけど)
    何度かメンヘルサイトに関しては言いたい事書いてきたのでもうやめにしたいのだが、性分なのかただの覗き趣味なのか気になってしょうがない。
    しかも、精神障害者であることで受けられる恩恵に感謝するどころか、当たり前のように振る舞い、働いている人から見れば「税金泥棒」と思われる発言を平気でする。そのへんの無自覚さにどうしても怒りを覚えてしまうのである。
    これは最近、よく思うことだが女性というのは「幸せ」という言葉を好んで使う。そして、この手のメンヘルが口をそろえて言うのは「私には幸せなんかなかった」と自らの不幸話を語りだす。(騙って楽になるのなら語ればいいし、たまには面白いものも有るが大抵は良くある話だ)
    正直いう。幸せというものはある種の危ういバランス感覚の上に成り立っている。多少は親の環境というものもあろうが、結局は自分の選択の結果うみだされるものである。世界というのは案外残酷なもので、悲劇なのは突然やってくるものだ。この前の脱線事故のように。それでも、苦しくとも日常は続く。大抵の人はそれに折り合っていき、たまに零れ落ちる人がうつ病になっていく。そんなものだと思う。
    これは個人的嗜好だが、自意識過剰な人というものが苦手である。母親がパラノイアでその思想に巻き込まれまいと戦い続けた過去があるからだ。自意識過剰な人はとかく人を巻き込む。その波にさらわれまいと自ら引きこもっている。これが現在の私である。ま、どうでもいいけど。
    願わくば、客観的視点を養って欲しいというのが、正直な意見である。

    2005年5月12日

    気づいてみれば

    半月近くもここ(いやネット全体)をさぼっていたのですが、何せ書くことが無い。
    毎日、ニート生活しています。
    というか、気力が落ちてきているのよね。

    なんかのモチベーションがあればいいのだけど、それがないと人間って面白いものでドンドン駄目になってきます。
    書きたいことがあっても、書く意欲が無い。

    こりゃ不味いわ、ということで。

    とりあえずはmikiのジャンプ評論をもっと早くやりたいです(おい)