nagisanの記録

    2005年7月31日

    文章力

    文章というのは、おいおいにしてその人の本質を反映する。

    私なんかは、誤字脱字が多く、いかに勢いで文章を書いているかがよくわかる。
    推敲しなければ、という思いはあるのだが、それ以前に早く載せたいと言うせっかちな思いが先走っている。
    本当に本質的にせっかちだからねー。
    後々見直してorz…なことがしばしば。
    しかも、mixiとかだと一度投稿すると編集が不能になるので、このぶざまさが情けなくなる。

    ところで今日ある文章を見て、妹共に愕然とした。
    そのひとは私と同じくらいの年齢なのだが、ネタ切れに出したのであろう過去のやおい小説をUPした。
    その内容が…なんだか、困った気分になってしまった。
    その人の経験の浅さがまじまじと露になってしまったのである。

    ここでやおいを知らない人のために書いておくと、少女の妄想で出来たホモ物語である。
    男性がエロ本で性的欲求を晴らすように、自らの性をもてあました少女が男性にそれを預けてもやもやした感情を晴らしていく…そんな感じである。
    出来のいいものだと、その欲望の些細な動きを丁寧に描いて独特の世界観を形成し、多くの支持者を集めているのもある。

    で、この人の小説なんだが…稚拙な感情をそのまま文字に移し変えた印象がある。
    あまりの稚拙さに、妹ともども文章チェックをしてしまうほどの不安を与えてしまった。
    感情を上手く表現しているか、独り善がりになっていないか、とっぴな表現はやっていないか…課題を作って7、8行くらいで添削しあってた。
    結果は、まあ、その人よりはあるかな…と言う結論で落ち着いた。
    とりあえずは、及第点はとっているようだ。

    ちょっと危険だが本質が現れてるものを抜粋する。

    >…何でこんなに胸が張り裂けそうなんやろ
    >…何で男に、しかも相方の原西にこんな気持ちを
    >持ってしもたんやろ…胸が痛くて涙が出てきそうや。
    >こんなん初めてや。行って欲しない。
    >ほんまに愛するってこんな気持ちなんやろか。辛いな…

    中学生の駄文でみかけそうな「ほんまの愛」である。
    「りぼん」にのってるような漫画をそのまま文章に起こしたような恋愛観。
    30そこそこの人が出すには、辛すぎませんかね。
    しかも「あはは、こんなバカな事書いてたねー」と突っ込みの無い本気のノリで公開したからタチが悪い。
    見てるほうが辛いよ、本当。

    夢見る少女というのは基本的に受け付けないがこの人も、多分綿菓子のような夢見てるだろうね。

    2005年7月30日

    やりたくない。

    なんだか気が抜けてきた。

    何事もどうでも良くなってきた気分。



    何にも考えたくない日だってあるさ。
    日記のネタになりえないことしかない日もあるさ。

    今日は文字だけ打って流し作業さ。

    ということで、今日はおねむします。

    2005年7月29日

    繋がってるようで実は繋がってない関係。

    ネットの関係って繋がってるようで実は全然繋がっていない。
    すべてが自己判断だけで任されてるから、思い込めばコメントしただけでも繋がってるような錯覚に陥る。
    時間とともにまとまった言葉が来るから、逆にコメントが来ると、お手紙が来た以上の反応を覚える。

    逆にいえば、ファンとアイドルの関係が縮小再生産されたと思えばいいのかもしれないね。

    今だからこそ、何とか対応の方法が見えてきたけど、初めにネットに触り始めた頃は大変だった。
    メールがダイレクトにばんばん来た頃は頭がおかしくなるかと思ったよ。
    これは主に携帯でサイト管理していたから、余計にそうなんだけど。
    あのころは一時期携帯音が怖くなりました、本当。

    しかし、繋がってるときは繋がってる感覚があるんだよな、どことなく。

    そのいい例が下の電車男のネットユーザー達なんで。
    距離をおいたようで熱くつながってる感がアレには伝わっていいです。
    距離を置いてるからこそいえる身勝手な意見感もばっちり。

    それに不思議なセンスオブワンダーを感じる理系も多いんじゃないかな。

    2005年7月28日

    やっと電車男見ました。

    キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!

    コレが全体を通しての感想かな。
    このAAがすべてを語ってくれるよ、ホント。

    個人的にはなすびを久しぶりに見れただけでももうけ、もうけ。
    なんだか電波少年に彼女くっつけただけという気もしないでもないけど。

    電車男の伊藤淳史がとにかくけなげで可愛いんだよ。
    エルメスターンはなんか月9の作りを真似てて、電車ターンのコメディと対照的になっている。
    ドラマの場合はその他ターンもあって、これがその回の電車の行動に影響を及ぼすようですね。


    妹は、
    「2ちゃんのニュース速報板みたいで面白い」
    とのこと。

    そういえば、時々でてくるスーパーみたいなのは、なんだかニュース速報みたいだね。
    ソースは「名無しさん」だけどね。

    堕天した理由。

    「ああ、おれはすばらしく輝いている。いかにもおれは尊い君主であり、神よりも尊いのだ。おれが神より尊い証に、神の玉座に座って見せよう」(ミルトン『失楽園』)

    かつて神に近く、寵愛を受けていたルシファーは神そのものになろうとその座を奪おうとする。
    その理由には色々な説がある。
    一つには、天使よりも後に出来た人間を愛した神への嫉妬。
    一つには、部下のグリゴリたちが人間アダムの娘を愛してしまったこと。
    あるいは、自由意志をもち神のひごから自由を得ようとした事。
    いずれも自己を持ってしまったことがその起因になると思われる。

    あ、グリゴリの説明がないや。グリゴリとは「神の子、見張る者」の意味を持っていて、普通の天使とは違った体であるそうだ。彼らがアダムの娘と接触し禁じられた知識を与える事で、地上は堕落し、神による大洪水の決断にいたったわけだ。
    ここで四大天使はおおわらわ。
    ラファエルはグリゴリの指導者アザゼルをデュダルの洞窟に閉じこめ、ミカエルはもう一人の指導者シェムハザとその仲間たちを別の洞窟に鎖でつなぎ止め、ガブリエルは堕落した者たちを内乱に駆り立てて滅ぼし、ウリエルはノアのもとを訪れ、洪水のことを知らせた。そしてかの有名なノアの方舟の建造へとつながるわけだ。

    これが「エノク書」のあらすじ。

    ところがその大元のユダヤ伝承だと微妙に変わる。
    もともと悪行がはびこっていた地上にグリゴリを派遣する事で神の威光を示そうとしたが、逆に地上の女性の誘惑に負けて禁じられた知識を教える。

    まあ、人間の本質が惑いやすく悪に流されやすいというのは共通してるがな。
    ああ、美しきは罪かな。

    2005年7月27日

    永遠の○○は存在しない

    アナゴさんは27歳だそうだ。あの顔で。
    http://blog.livedoor.jp/doghand/archives/14390238.html

    でも、この手の顔というのは、会社に入ると案外重宝されるようだ。
    見た目でベテランっぽく見えるから、取引とかに有利に働くようだ。
    いま、職に悩んでる者よ、これからはオヤジ顔の時代だ!!

    …と前置きはここまでにして。
    年を食わない顔というのは存在する。

    この手の顔を持つ人間はある時点までは年寄り臭いと馬鹿にされる。
    とっちゃん坊やとかオバン顔とか十代ではあまりもてない。
    しかし、ここでくじけてはいけない。
    十代なんて所詮立たった10年間の出来事に過ぎない。
    この先の未来のためにいろいろ蓄えておけば、嵐が過ぎ、時がたったとき立派な宝となる。
    そのときに「見掛け倒し」と言われない様にすれば未来は安泰だ。

    女性の場合、旬というのが早い。
    20代の半ばになれば、年齢のレベルで中古品扱いされる。
    男性に比べて見た目が要求される分、苦しいものがある。
    しかし、こういうとき年を食わない顔というのは有利になる。
    基本的ケアを怠らなければ、顔が老いをフォローしてくれるのである。
    あとは心配りに気をつければ、そんなに人生苦労することも無いだろう。

    ここまで書いて思ったんだけど、若いときに人生謳歌した人って、大抵年取るとなんだかオーラが抜けた腑抜け感を感じるよね。
    同窓会に行くと、なんだかなー感というかなんというか。
    思い出フィルターもかかってるのかもしれないけど、コレも案外不思議なもんだなと思う。
    昔、有名だった人を見たときの、あの人生隠居状態みたいな雰囲気はいったいなんだろうなあ。

    こういうの見てると人生って何処かでピークがあるように出来てるような気がする。
    それがいつか見極めたものだけが平穏な人生を過ごせるようになっている…そんなものかもしれない。

    やはり、人生というのは基本的に平等に出来ているような気がする。


    2005年7月26日

    目は語る

    ちょっとある事情で人物写真を弄くっていた。
    その写真はなんてない事のない写真だが、つい冗談で目線を入れてみた。

    そしたら、たちまちにそれまでもっていたその人物のイメージが変わってしまったのである。
    目が入っていたときに感じた複雑な印象が消え、匿名の膜に覆われてしまうのである。
    目を入れただけで個性が消える、よく考えるとものすごい事なのかもしれない。

    よく見かける目線の入った犯罪者の写真。
    さすがに犯罪を犯したものとなると、目線くらいでは隠しとおせないようだ。
    見てる側のバイヤスもあるが、口とかまゆ、輪郭のゆがみは電車で通っているような人間には全く見られないものである。

    人間と言うのは外界のストレスにより、顔の筋肉が緊張する。
    それで感情が表面化され、笑ったり怒ったりの表現の伝承が行われる。
    特に目というのは、その情報を敏感に仕入れるための器官である。
    微妙な動きを即時に判断し、相手が何を思っているのかを理解するのである。
    昔よく「人の目を見てはなしなさいよ」と言われたが、このことを言いたいのだろうと思う。

    面白いのはいわゆる詐欺師の目である。
    一件、目尻が下がってて、にこやかで穏便そうに見える。
    が、何処かで何も笑っていない、奇妙な冷酷さがある。
    それが「頭のよさ」と誤解し、表面的な人柄の良さに惑わされてだまされる。
    これが、詐欺師のだまされるパターンなのである。

    印象的な顔がひとつある。
    和歌山毒入りカレー事件の林真須美被告の顔である。
    どことなく、愛嬌があるオバサンだが、明らかに目が笑っていない。
    この事件の動機はいまだ不明であるが、その内面には複雑なものが渦巻いてるそんな目の持ち主だ。
    どこかで、人間に怯えと不信をにじませた目。
    オバサンらしく太った体系には不釣合いな目が今でも強烈に覚えている。

    彼女の目を隠したら多分何処にでもいそうなおばさんに成り下がるだろう。
    でも、あの目は夫や愛人、その他世間に対する欺瞞みたいなものがマグマのように渦巻いているのだと思う。

    困ったときは目を見ようとこのとき心に決めたのである。

    2005年7月25日

    台風が来るらしいですね

    台風と言えばちょうど5年の今ごろ、名古屋は大洪水でした。

    会社は5時に帰らせてもらいましたが、この時点でもう道路は水浸しになっていました。
    普段はローファーの靴でしたが、この日に限ってミュール。
    ストッキングを脱いで素足で歩いたためそんなにダメージはなかったのですが、それでもしゃれにならないほどの大雨でした。

    でも、問題はここから始まるのです。

    なんと、この時点で通勤している電車が止まってしまったのです。

    しかも私は何を考えたのか、当時上映していた「ホワイトアウト」を観てしまったのです。
    たぶん、この日は動かないと見て、映画館で寝泊まりするつもりでいたのでしょう。

    しかし、姉からの電話で事態は変わりました。
    地下鉄がまだ動いてるから、終点まで乗ってそこから迎えに行く、とのこと。
    しょうがなく映画を諦め、地下鉄に乗る事にしました。

    そのころ、大雨はピークに達していて、B町では床上浸水に達するくらいの大惨事になりました。
    もちろんうちの近所も例外でなく、車の走行は困難を極めました。

    なんとか迂回路を駆使し家路につきましたが、何を考えてるのだと親にしかられました。
    心配したのはわかりますが、姉がいなければ帰る手段ないのに何を言ってるのかという気持ちが今でもあります。
    変に動くよりもじっとしていたほうがいいじゃないかと今でもこの思いは譲れません。

    今となっては思い出のひとつです。

    2005年7月24日

    男女間の会話って難しい。

    今回はちょっと愚痴。
    いちおう、この小説って週一に4、000文字前後で書いてるのだけど、今回ほど辛い事はなかった。
    何処で迷ったかというと主人公とヒロインの会話。
    いわゆる、恋愛関係に至らない状態での男女の会話って慣れない。
    どこか下心があるようなないような、あのもどかしい感じがプライベートでも嫌なので書くのが辛かった。
    あとは生臭思考の性格が、定石通りな会話を許さなかった(でも、読み返したらあまり成果は出てない…orz)のもあるようなないような。何であんな会話になったのか、今でも理解不能な部分がある。
    おかげでエンターテーメントで進んでいた話が、ここだけ純文学みたいな奇妙なものに出来上がってしまった。
    まあ、まだ種明かしできない部分もあって、その兼ね合いも合ったわけだけど…

    そうでなくても、読み返すと全体的にはちょってるなと感じる部分が多いのに、ここだけ冗長で。
    おかげで予定が少し延びて、細かい編成を修正してるところです。
    「サタンプロジェクト」なんて完全においてぼりだからなあ。あのアメリカ人はどうなったんだってつっこみが。
    もしかして、HTMLで公開するときは、大幅に内容を変える可能性もありますね。

    たぶん25時間テレビで壊れると思うので

    体力のある今のうちに更新しようかな。

    お題は一人称をどうするか、という問題。

    ここは基本的に「私」で通している。
    昨日みたいに「おいら」というときは時間か精神に余裕のない状態に出る事が多い。
    メッセで「おいら」使いなのは、何となく「私」だと固くなる印象があるのでそれを和らげるために使う事が多い。
    ここだけの話、しゃべりだと「俺」が出る事もある。
    だいたい、酒などでテンションがあがってて、笑いを取ろうとしてると出やすい。
    でも、俺女って嫌われるんで、気を使う。
    女らしいって結構疲れると思う事があるが、「私」を使うのに気がいるのもそのひとつである。

    「あたし」というのもあるが、あんまり口にしない。
    どうしてかなあ。大学はいるまで女友達作らなかったからかな?
    鏡を見て「あたし」といってみると似合わないというのもあるけどね。
    「あたし」使いの人はたいてい強い女である事が多い。

    「わたしゃ」は使う。
    案外、気の知れた女友達だとつい説教臭くなるんでその延長線だと思う。
    まあ、結局「私」に落ち着くのだけどね。

    「おいら」といえば私が思い浮かぶのがビートたけしとひろゆき。
    特に武の独特のイントネーションは、ついつい真似をしたくなる。
    2chやブログでひろゆきが「おいら」と使っているのを見るとなんとなく憎めなくなる。
    なんとなく照れがあって愛嬌が見え隠れする、それが「おいら」男の魅力だ。

    そういえば「僕」女が私の一世代前には多かったような。
    決まってショートカットでボーディッシュな印象ね。
    女らしさにはあこがれるけど、男の子(男でないのがポイント)の心も忘れない。
    こんなイメージが受けていた時代があったのである。

    そういえば深夜のかま騒ぎ見てたのだけど、最近の芸人さんみんな「俺」なんだね。
    さんまや今田耕司が「僕」といってるのがなぜか不思議に思えるんだよな。


    2005年7月23日

    愚痴は大海の中にぶちこめ。

    愚痴日記というのは書きやすいが、度が過ぎると見てる人をうんざりさせる。
    どうしておいらはこんな愚痴を聞かされなければならんのかと思う怖さがある。
    あまりにキツイ内容の愚痴日記を読まされると、まったく知らない人間でもどうしようもない脱力感がある。

    なら、掃き溜めを何処に書けばいいのかが問題になる。

    おいらの場合は、ここと2ちゃんねるを主に使っている。

    2ちゃんねるに関しては説明するまでもないだろう。
    匿名の陰に隠れて、愚痴をさんざんはき捨てて、すっきりということも多々ある。

    でも、なんでここなの?という質問がある。
    mixiなどのソーシャルネットワークの閉鎖空間のほうがいいんじゃないのという意見もあると思う。

    実はソーシャルネットワークで愚痴をいうのは会社内で同僚の悪口を言うような勇気がいる。
    見ている人が限られてる分かえって、愚痴を聞かれる事のリスクも恐ろしいものがある。
    馴れ合い関係が出来れば出来るほどそれはドンドン苦しくなってくる。
    最近では検索機能も充実してるから簡単に足がついてしまう。
    なんだかインターネット社会の縮小版になってきた今、そこで愚痴を書くのは困難である。
    mixiなんて、もうすぐ100万人になるからなあ。56億人のなかの100万人となるとサイト内サーチなんかで引っかかりやすくなる。
    最近なんかはあんまりコメントもうれしくない性分なので、ちょっと困ってきている。

    で、ここなんですが。
    ここはたくさんあるライブドアのブログのひとつである。
    別に特定の目的をもって立てたブログではない。
    これが意外と引っかかりにくいのよ、グーグルに。
    ちょっとしたキーワードに引っかかるはてなとは大違い。
    …いや、別にライブドアの悪口言ってるのではなくて。
    だから、意外とたやすく愚痴が吐けるというわけ。

    リンクを必要最低限まで押さえて、人もあんまり来ないようにしている。
    たしか本体以外には本館のアバウトと、mixiのプロフぐらいかな。

    だから、心のはけ口で困っている皆さん。
    いちどライブドア使ってみてはいかがでしょうかw

    あれ、ライブドアの宣伝になってしまったい。
    ま、いいや、25時間テレビで久しぶりに堀江社長見たし。

    2005年7月22日

    時間という薬

    うーんとね、ちょっと気になってここの過去ログ見てたんですよ。

    そしたら、ちょうど去年の今ごろ私、前彼に振られていました。
    当時の文章もかなりキてます。今の5倍(当社比)くらい。
    やはり、恋愛のショックというのはダメージでかいですね。

    でも、思い返すといい思い出ばかり残ってる。
    いやなこともあったことにはあったけど、楽しい事がたくさんあったな、と。
    彼とつきあったことで今まで見えなかった世界を垣間見る事も出来た。
    いい職場にも出会って、きつかったけど充実した生活を送ってた。

    つまんない言葉だけど、愛情ってものを感じる事ができたと思ってる。

    時間というのは、上手い具合に出来ているな、とちらりと思った。
    ここのところの憂鬱や不機嫌がなければ、たぶん過去ログを読み返すことはなかっただろう。
    で、読み返して、思い出に浸ることもなかっただろう。
    ちょっと時間軸が狂ったら冷静に見ることが出来ないと思う。
    逆に昔の自分のログから、今の自分を励ます事もなかったと思う。

    女性の中には年をとることを嫌う人も多いと思うが、私はそんなに老いに関する迷いはない。
    美しい思い出ガある限り、何とか生きていけると思っているからだと思う。
    たまには日常に切れることがあっても、休めば何とかなると感じるのも年の功だ。
    まあそれも時間というものの有り難味を知ってこその発言なんですがね。

    まあ、老いを感じさせるほどの美貌を持ってないのも大きいけどね。
    自分の性格で黒木瞳並みの美貌を持っていたら…うーん。


    2005年7月21日

    ぼーぜん。

    今日になって武装錬金の赤マル予告の「練金」の大誤植に気付いた今日この頃いかがお過ごしでしょうか?

    まさか、連日の暑さに、「頭を銃で打ち抜きたい」と願ったりはしていないでしょうか?

    もう正直どうなってもいいと自暴自棄になっていないでしょうか?

    夜眠れなくて朝方にうとうとし昼夜逆転生活を送っては居ないでしょうか?

    うるせーーーーーーーーーーーーーーー!!

    なにが「うつは心の風邪だ」???
    風邪なら、病院に行かなくてもすむじゃないか!!
    放置したら、人間不信暦25年の廃人の出来上がりじゃないか!!

    あと、簡単に「きょうなんだかうつなんだけど」って奴も気にいらねぇ!
    うつというのはたくさんの迫害と戦ってそれでも負ける、どうしようもない病気なんだ!!
    単なる気分の悪さをうつに摩り替えるな!!
    こちとら、楽しいという感情を彼氏が出来るまで知らなかったんだぞ!!

    履歴書!!
    何でお前に写真が居るんだ!!
    直接面接するのに、わざわざ書類を見るなんて二度手間だ!!
    どうせ書類なんか見ねぇのにわざわざ書かせるなよ!!

    なんか熱に侵されたようなんで、今日はごきげんよう。

    2005年7月20日

    会いたいと思う気持ちは…

    今日もちょっと用事をかましていたらこんな時間に。
    相変わらず気分はさえないんだけど、まあ、こんなもんだよなと半ば諦めのムード。
    周りは鬱で死にそうになっている人が多くてアレな状況になっているので気にはなるが、今はちょっと余裕がない。ごめん。
    黄泉がえり昨日のRUIつながりということで、黄泉がえりである。
    ストーリーといえば、ある日九州地方を襲った隕石(?)がもとで、同時多発的に死者が「黄泉がえる」という現象が起きる。主人公演じる草なぎ剛はその調査に向かうが、その際、思いを寄せていたヒロイン・竹内結子と再会する。そして「黄泉がえるには生きている人の強い思い」という条件を知り、かつての恋人の黄泉がえりを願うのである…
    この話は基本的に群集劇である。そして、大人の「ファンタジー」である。
    いろんな人の想いとともにたくさんの黄泉がえりの物語が有る。黄泉がえりの設定に関しては、原作ほどには言及されていない。それよりも、「なくなった人への思い」というテーマを優先している。
    人の数だけ、思いの数は存在し、人の数だけ死に別れは存在する。
    たとえそれがつたないつまらないものであっても、それはれっきとした事実として存在するのである。

    それでいい、そうカリスマ歌手RUIも叫んでいるではないか。

    映画評のサイトを巡るとよくある批判として「RUIのコンサートがながすぎる」と言う意見がある。まるで、これはRUIのプロ-モーション映画ではないかと。
    この意見は正解だが、批判すべきするところではない。むしろ、「つなない永遠の愛」を叫ぶ巫女としてRUIは存在し、映画のトーンを統一する力を持っているのではないかと思う。彼女からすれば、草なぎ剛と竹内結子のドラマはちっぽけなものでしかない。いや、ちっぽけだからこそ、大事にしていきたい物なのだと主張する。

    RUIはその生死、黄泉がえった人間なのかどうかがあいまいになっている。最後ですら恋人との別れはあやふやになっている。つまり、生死のボーダーすらも越えてしまっている。これは、巫女である証明ではないか?



    2005年7月19日

    どうしょうもない日

    今日はどうも気が乗らないや。
    なんとなく、けだるくて気が乗らないんだよね。

    ボーとパソコンの前に立ってもこれぞという案が出てこない。
    いつの間にやら2ちゃんねるとかお絵びとかに出没してるし。

    かけっぱなしで聞いてる曲がRUIの「泪月-odoro-」というせいもあるかもね。
    何せあの曲はサビに「どうか とどめを刺して」だもんなあ。
    鬱期に聞くにはあんまりよくない気がする。
    なんだか切ないを通り越して、うわあああ、な領域に達する。

    RUIといえば昔話題にした事あるけど、
    放置気味の古いサイトも改築したいんだよね。
    2002年立春からのすべての日記ログをまとめておきたいな、と。
    でも、サイトトップの案すら浮かばないや。
    あと、アイランドの日記を吸い上げるのは面倒だしな。

    本日は、駄目人間状態の中お伝えしました。

    2005年7月18日

    タナトス

    ときどき、ふと死にたくなるときが有る。
    目の前にある薬を全シート飲んだら逝っちゃえるかなと思う事も有る。
    でも、実行しても死ねない。
    これは単に薬の耐性が強すぎて、死まではいざなってくれないからだと思う。

    よく、「自殺するひとはなんらかのシグナルを出して死んでしまう」という意見がある。
    コレは半分正解で、半分間違っていると思う。
    なぜならば、自殺の理由はそんなので判るほど単純ではないからだ。
    感受性の強い人ならわかるのかもしれないけど、鈍感な私にはちょっと納得がいかない。

    私の場合は、突然「死へのいざない」がやってくる口だ。
    そんなとき、他人にシグナルを発するほど余裕はない。
    ただ、自殺の方法を頭の中でグルグル回転させてる。
    誰かに効いて欲しいほど、判りやすい理由ではない。
    (後から考えても、その理由はよくわからない場合が多い)
    まあ、衝動で逝ってしまうタイプなんだろうと思う。

    そこで、「なぎさん(仮名)大丈夫??」という声を掛けてくれる人がいれば話は変わるのかもしれない。
    でも、幸か不幸か、本気に自殺するときに限ってそんな声は聞こえてこない。
    ただ、死に損ねてしょうもない後遺症に悩まされるのがオチだ。

    ここまで、書くと「大丈夫か」と意見する人もいるかもしれないが、今は大丈夫だと思う。
    ただ、ちょっと無気力になっているけど。
    梅雨特有の気分で鬱になっているだけだと思う。
    というか、そう信じないと本当に逝ってしまいそうなので思い込んでいるのかもしれないが。

    でも、綺麗に消えたらいいなという願望は有る。
    海に流される砂の落書きのように消えたら、どんなに幸せなんだろ。
    忘れるという事を忘れた、私にはデリートこそが究極の自殺方法である。

    ま、実際にはそんなのあったら簡単に死んでしまうから出来ないように出来てるんだけどね。

    「声」とかを「感じる」とき

    統合失調症になると、いろんな声を聞く。コレもそのひとつだ。

    テレパシー@私の妄想・私の聖域
    http://blog.livedoor.jp/mousou/archives/28239774.html

    この人の場合、その声を「無意識の声」と解釈し、自らの生活へフィードバックしようとしている。
    時代が時代なら、こういう「声を感じた」ものはシャーマンや魔女等の存在と認知され畏怖されただろう。
    確かに、「声を感じる」ことはあるはずなのだ。単に固い頭では聞こえないだけで。
    特に、耳に聞こえる事以外のことを聞く事は、科学的に証明できない現在、バカにされるか、精神科の門を叩くよう言われるのがオチになる。
    でも、本当に、そういう人が実在する以上しょうがない。

    たとえ、オカルト的で他者に理解されなくても…

    あんまり過信するのも問題だけど(正直神の言葉とかへ解釈するのは好きじゃない)、たまには「声を感じちゃって」もいいじゃないか、と思ってます。

    個人的には「おんな」の事を重点的に書いてあるのが、昔自分が「声を感じた」やつに似てて面白いんですが。
    やはり、男によって「おんな」は影響を受けやすいかと本能的に思いました。
    そこに根源的で現代社会が放置している問題があるなあ、と。
    声の存在が、身近でいそうでいないところも好感がもてます。

    「おんな」に関しては、ちょっと小説に反映したい部分でもあるので多くは語れませんが…

    2005年7月17日

    怖い話。

    集団ってやつは時にとんでもない事をしでかすもので。
    一番怖いのは自分の悪を摩り替える、自分可愛さに有る。

    今回は、2ちゃんねるのネットWatch板から薄ら寒い話をひとつ。
    メンヘル耐性のない人のために今回は話を折りたためます。

    続きを読む "怖い話。"

    2005年7月16日

    今日はお休み。

    今日は小説、ジャンプ感想(こういうときに限って土曜発売なんだよお)、さらには同人ゲームの打ち合わせでもうかけましぇーん。
    というわけで、今日はお休みさせてくださいー。

    2005年7月15日

    ビートたけしという神話を紡ぐ北野武、そして祝祭的な90年代テレビ

    北野武VSビートたけし北野武VSビートたけし
    安部嘉昭
    筑摩書房


    芸人としてのビートたけしと映画監督としての北野武の対立という、映画界に(おそらくは本人にも)多大な影響を与えた一作である。
    肉体としての「ビートたけし」を演出するため発生した「北野武」。彼の体はおそらく、幼い頃から精神と肉体が分離していたであろう。(インタビュー等から、これは母親の教育によるものが大きいと思われる)だからこそ、あの日本全体が祝祭的だった80年代において、現実から距離をおいた「毒舌的ギャグ」を生み出す事が出来たのだが。

    しかし、精神としての北野武は置いてかれたままだ。次第に芸人としての才能を見出されたあとも、「俺は本当はこんなではない」とその枠から出ようとさまざまな分野での試行錯誤が見られる。小説などの分野にも早い時期から手を出しているのもその延長線だろう。

    そして、大島渚の「戦場のメリークリスマス」で「本物のビートたけし」を発掘させられる。

    これは、大島渚に素人の能力を最大限まで発掘する能力があったから可能であった奇跡である。ともかくこれで根源的な獣性を帯びた「ビートたけし」という視点を獲得した事になる。その後のドラマの役者の演出にもこれは影響している。ああ、自分はこういう性質を持っているんだなと内外にアピールするようになる。(まあ、フライデー事件もその根源的獣性がなければ、復帰はなかっただろう)

    しかし、世間はそんなに甘くない。バブルははじけ日本を覆った祝祭的気分は次第にその領域を狭めていく。もちろんテレビ界だって例外ではない。「元気が出るテレビ」で採用された「別に取った素材をスタジオの出演者に見せる」というスタイルも、予算が少なくなった制作費を最大限に生かした苦肉の策であろう。それでも、テレビ界で暗い顔を見せるのはNGなのである。そこで90年代の「テレビの中はカーニバル」という世界観が発生するのである。
    90年代前半はバブル崩壊の割にワイドショーやメディアが活躍している。現実は景気が悪いというマイナスイメージを隠すため、あるいは見たくないため、躁的なくらいにメディアは芸能界を演出する。
    この日本全体の躁鬱的アンビバレンツに「北野武」は散々苦悩したのであろう。時々、ドタキャンしてはそれを「ビートたけし」はネタにしてしまうという離れ業をしてしまう。そうでないとやっていけない時代だったのだ。

    1989年、北野武にある事件がおきる。自分が出演するはずだった映画の監督・深作欣二が降板したのである。そこでひょんなことから自らの主演作を監督するというチャンスがやってくる。映画と北野武との運命の出会いである。

    たぶん、彼の内心は「今まで自分が疑問に感じていた映画的文法をはずし、自分の知っている世界を構築しよう」という新しいおもちゃを手に入れた気分に近いのかもしれない。すでに古くからなじんだテレビというおもちゃには飽き飽きし始めてきたからだ。そんな気分でアウトサイダー「ビートたけし」を演出しようとする。その後の映画でも自らは常に社会のアウトサイダーとして配置している。第三作「あの夏、いちばん青い海」も聾唖者を主人公に置くなど、徹底して社会とは距離をおこうとしている。
    1994年にバイク事故で死に直接触れるまでは、自分の気分を正直に表現できる場としての映画、その気分を隠すためのテレビという住み分けが成り立っていた。
    しかし事故直前、テレビ界のほうに違和感を感じ始める。きっかけは「平成教育委員会」の共演者・逸見政孝のガン死報道だろう。彼の死をあからさまに報道するさまは異常だった。88~89年の天皇陛下の病態報道が尾を引いたような下世話な報道に一番腹が立っていたのは、テレビを知り尽くしていた「北野武」そのものだったかもしれない。「ソナチネ」が死の色に染まっていたのは、テレビからの決別をしたい「ビートたけし=北野武」が肉体ごと葬り去りたい衝動に陥っていたのだろうと推測できる。「みんな~やってるか!」、監督作ではないが「教祖誕生」はその死の気分を払拭するための反動とも受け取れる。

    そして、1994年8月2日未明死は彼のそばを通り過ぎていく。祝祭的なテレビ報道とともに。
    さらに1995年という日本にとってはターニングポイントとなる年がやってくる。

    映画監督・北野武にとっても一種の試練のときだったろう。事故前の自分のセンスを取り戻しているかどうかの実験に「キッズ・リターン」を製作している。あの映画は「見る人」としての自分を確認するために描かれた映画だ。と同時に芸人としての運動神経の限界を感じていたのかもしれない。この頃からテレビでの冒険を控える方向に向いている。(義理としてのテレビ出演は続いていたが)

    そして、事故後の自分の総括としての「HANA-BI」、母への距離感を描いた「菊次郎の夏」と90年代後期の北野映画は「北野武」の精神的整理に費やされる。特に、「菊次郎の夏」は「お笑い芸人-ビートたけし」と「母と距離をおいた北野武」そして「映画監督・北野武」と詰め込んでいる気配がある。「ビートたけし」という虚像をこの映画で封じ込めようという意図がここには感じれるのである。映画監督・北野武を際立たせるために。
    その後はビートたけしは隠居的スタンスを取り、主に芸術的なものを撮る映画監督・北野武のなかで自らとなえる「振り子理論」に基づいて動いている。映画でも「Dolls」のエキゾティックな色彩の映画から「座頭市」のまさにエンターティメントまで幅を広げている。

    これからも、本当に死ぬまでころころと走りつづけるのだろう、このおっさんは。

    死へいたる軌跡、そして悲しみ

    ほんとに今回はやばいかもしれない
    ほんとに逝ってしまうのかもしれない

    あのときあれさえしなければ…という想いが頭をぐるぐる回る
    あのときこうすれば…という想いが気を重くさせる

    そのうち当事者でない人でさえ死にたくなる
    自分の至らなさに責任を持つために

    自殺というのはそういう罪を他人に背負うものなんだ

    自分は一人なんだという事を免罪符にして逃げる
    ほんとはみんな一人ぼっちであるという事実から逃げてしまう
    それが自殺
    自分は罪深い人間なんだという見せ掛けの罰を与えて逃げる
    ほんとは自分がまったく共感の出来ない人間である事を忘れて
    それが自殺

    この声ももう聞こえないほど追い詰められたのかもしれないけど
    これだけは言わせて

    たのむ、死ぬだけはやめてくれ
    あなたが死んだら、どれだけの人が悲しむのか

    絶え絶えの精神でいいから聞いてくれ

    たのむ、死ぬだけはやめてくれ
    あなたが死んだら、私も悲しむから



    2005年7月14日

    「Home」入手しました。

    HOME [1997-2000]
    前にも言っていたゆずのベストアルバム「Home」やっと入手しました。
    いろんな意味で煮詰まっていた私には一種の清涼剤です。
    個人的にはまだ伊勢佐木町の街頭の歌っていた頃の「地下道」が聞けて、当時からゆずのもたらすクオリティの高さに驚いています。
    アコギとハープ、タンブリンで手作り感を重視してた頃の荒削りさが、「ゆずえん」
    「トビラ」あたりの完成度の高い曲を聞いていた私としては新鮮に聞こえます。

    ああ、一度でいいからコンサートに行ってみたい。
    (ならさっさとお金を稼げよ<悪意の発言)

    で、ライナーノートに気になるものがあったのでちょっと引用。

    「好きなこと音楽を好きなように楽しみながらやるというアマチュア的な的な姿勢から、責任を持って、いいステージをやるんだ、いい音楽を作るんだというというプロフェッショナルなとして自覚を自覚を持った変化をしたきっかけのひとつは(ライブの中で金返せと罵られた事)な出来事だったと思う。批判や屈辱的な出来事もしっかり受け止めてきたからこそ、今の彼らはある。彼らはいつも手のひらに成長しようとする意思を握り締めていた」

    ときにはネガティブな気分に襲われることもある。社会という壁にぶつかることもある。それでも、ネガティブな心から逃げずに肯定もしつつ、前を進むことを忘れない。その精神は多分特別なものじゃなくて、人間が忘れてはいけない使命、みたいなものである、そんな気がする。

    それでも、人と触れることを謳歌する、そんなゆずが大好きです。
    うーん「going」も買おうかな…

    2005年7月13日

    あら、書くネタがありませんわ。

    「また、会話方式かよ」
    「タイトルのとおり、何にも書くネタがないってよ」
    「しぃペインターはどうなったんだ」
    「なんかフォトショより使い勝手がいいと絶賛はしてるけど、フォントがいうことが利かないって愚痴っていたよ」
    「大分あそこでシコってるようだしな。万が一客が来たらどうするつもりなんだ」
    「本当に人物紹介モードになってるみたいだしね」
    「下手すると某同人ゲームとか未完の錬金漫画とかも書いてしまいそうな勢いだな

    「ところでその同人ゲームの件はどうなったんだ」
    「タイトルとかも決まってきて少しづつ形にはなってきているようだよ」
    「そうじゃなくて、ここの管理人の話だよ。表に出ない事情なんてどうでもいいんだよ」
    「…がんばってます…というのが精一杯のようだよ」
    「…それで、お絵かき板に逃げているってわけか。あきれた野郎だな」
    「まあ、ここの日記や小説はきちんとやっているから、それなりのものはできると思うよ」
    「本人でもないのにいいかげんなこというな。もし得意のとんずらをかまされたらどうすんだ?」
    「困ったときはネット用に妹に使わせて、自分は妹のPCで書いているから大丈夫だと思うけど」
    「ネット用って?妹のパソコンじゃだめなのか」
    「まあ、たかがヤフーのADSLだからね。ヤフーじゃLANの複数展開は難しいよ」
    「それじゃしょうがないな。でも妹もネット好きなんだろ」
    「何かHP開設の目玉の小説を書いてるみたい。なんでもJAVAスクリプト使って、好きな名前で小説を読めるようにしたいみたいだよ」
    「ふーん。で、そのサイトっていつできるんだ?」
    「……知らない。ジオでアカウントはとっているみたいだけど」
    「気の遠くなる話だな。HTMLとか手伝ってやらないのか、管理人は」
    「その気マンマンだけど、妹も自分で勉強したいといっているからそれも送れている原因になるのかな」
    「HPといえばジオに昔のログがあるだろ。あれどーするんだ?」
    「なんか魔法のアイランド時代のログを含めて、編集したいとか言っていたけど今の調子じゃ難しいだろうね」
    「それよりも仕事はどうなったんだ?7月にはばいとはじめるんじゃなかったのか」「それが…過眠気味で調子が悪いみたい」
    「どうせネットのはまりすぎだろ」
    「今年入ってから朝が起きられないというのは悩んでいたみたいだね」
    「昼夜逆転か。やっかいだな」
    「どうにかできるといいね」

    「そうだな…って俺達ってなにものなんだ」
    「さあ…適当でいいんじゃない」




    2005年7月12日

    しぃペインター、最高!!

    夏祭り(のはず)とある人から「しぃペインターはいいですよ」と聞いたので、配布先見たらなんだか説明が難しそうで放置していましたが、今日やっとお絵かき板設置しました。

    サーバにしぃペインターのJarを入れるのがちょっと難儀したけど、いざ使ってみたら有る意味、フォトショが嫌になるくらいの使い午後地のよさ!

    これが今日書いた絵の中で一番時間がかかったもの。
    お絵かきソフトにはPeintBBSもあるけど水彩の味は断然こっちのほうが上。
    今日は一日ペンタブ持って書き書きしまくっていました。
    なぜかフォトショ書きの絵もあったりして…某錬金漫画もあったりして。

    しかも掲示板のスキンも多様あって、いじるのがと本当に楽しみです。
    あとでCSSとかいじってカスタマイズしよう。

    ただ、ひとつだけ難点があってさ。
    この掲示板、もとのサイトが閑古鳥だから誰も見に来ないんだよね。
    絵もオリジナルキャラ(しかも地味)何で目玉もないしな。

    sketch book@The Center of Gardens.
    http://www.project-nagi.com/l_bbs/relm.cgi一応宣伝しておこうっと。

    まいいや、好きにやらせてもらおうっと。

    お絵かき板開設

    唐突ですが、お絵かき掲示板立てました。

    sketch book@The Center of Gardens.
    http://www.project-nagi.com/l_bbs/relm.cgi

    多分、ここ人こないので当分はオリジナル小説のキャラ書いたり、ほかのものを書いたり自分専用の落書き帳になりそうです。
    もしかして、あのGWに終わったジャンプ漫画とか何とかを突発的に書くかもしれません。
    しぃペインター、最強!!

    2005年7月11日

    エロティカル。

    昨日セックスに関して書いたけどなんだか「このノリは違うな」と思ったので、もう一回。

    私はどちらかというと「語る暇有るならヤッた方がいい」と思っている口で、ついこの手のことを出そうとすると照れが出てしまいます。
    だもんで正直、エロを公に出せる人というのは尊敬してます。
    自分の中のエロを何とか公の場に出せるように調理して見せる。
    それって案外照れずにやる技量が必要とします。

    もしかして「男性器を女性器の中に入れる」という行為をおくびも無く出すのがまだ恥ずかしいと思っているせいもあるかもしれません。
    下ネタは好き(知る人は知っているはずだ)ですが、これとセックスを書くこととはまったく別で、かなりの気合が有ります。
    どういうシュチュエーションで、どういう会話を経て、どういう前戯をして、どんなふうに相手の女性が感じて、挿入そして絶頂…考えるのは楽チンですが、いざ書こうとすると、覚めてしまう、そんな照れが邪魔をします。
    だからエロ漫画家って勇気あるなーと思ってしまいます。

    あとは、エロビデオやエロマンガを買いにいけないような性格もあるのでしょうね。
    いまだにあのAVの空間に立つには書く以上の勇気が要ります。
    一度借りて(あるいは買って)見たいとは思うのですが、一種あの空間は異常なものを感じます。
    欲望のためにそろえられた商品としての女性たち。
    ピンクと白き肌色の世界が、本能を煽り立てるような不思議な空間。
    興味はあるけど、決して入ってはいけないような背徳に満ちた空間。
    どうしてこんなに他人の前で自らの行為をさらけ出せるのだろうというつまんない嫉妬。(多くはお金だと思うけどね)
    レンタルショップで特別に囲まれたその空間を見るたびに、興味半分ちょっとした嫌悪感半分でいつもすり抜けるこの空間、いつかは勇気を出して…多分行かないだろうなあ。
    彼氏の家やラブホテルのテレビで見せてもらうのが関の山です。

    で、見てると案外とる側の技術が見え隠れしているのがよくわかる。
    欲望だけではAVは絶対取れやしない。
    欲望を掻き立てるだけの仕掛けや技術(ここまで欲望をコントロールできるのはほとんど自己管理の世界だ)にかける男たちの試練が透けて見える。
    男って言うのは欲望の達成のためなら、突拍子もないことを思いつくことがあるから面白かったりする。
    一方、女性のほうだが多分有名なAV女優のやつを見ていないせいなのか、「素材勝負」なのかなと思ってしまうことがある。
    簡単なAVだと最初はプロフィールを言わされてるパターンが多い。
    多分、これはキャラ設定の意味で視聴者の想像力を書きたてる役目もあるんだと思う。
    女って選ばれる性なのかなってことをボーっと見てて考えてしまった。所詮AVなのに奈に考えすぎているんだろう、私。

    でも、なんかギシギシアンアンしてるの見てるとボーっとしてくるんだよね、なぜか。
    根拠は無いけど、フーンって感じで。


    あれ、また書きたいこととずれてきたな。やっぱり私にはセックスネタは無理だったのかな。




    2005年7月10日

    勘違い。

    勘違いというのはたくさんあるけど、今回は女性のはなし。

    若いときというのは、それだけで男性にとっては性的魅力に感じるらしくなかにはそれを武器とする人も居ます。
    今はどれくらい流行っているのか知らないけど、援助交際というのもその延長線上にあると思います。

    しかし、本当のセックスの技量というのは、股を広げたり、ぎりぎりまで露出した衣装をすることではなくて、どれだけ相手の性の好みに対し対応できるかにかかっていると思います。
    愛情、までとは欲を言いませんが、自分の性欲の強さあるいは股のゆるさを、別の要因に摩り替えるのは正直勘弁してほしいと思います。
    まあ、メンヘルの中にも風俗経験者がおおいのでついつい見てしまうのですが、その辺がわかってない人もいて失笑してしまうこともあります。

    女性も権力志向というものはあります。
    一番有名な例は、時の権力者と通じてエジプトを支配したクレオパトラもそうといえばそうかもしれません。
    たくさんの男性と浮名を流して、それを勲章にする人も居て当然です。
    それに関してとやかく言うほど、私は偉くは無いし、正直もてないほうです。

    でも、何か違うなあ、と思う人もいるもので。
    たくさんの男と寝る事がもてるというのは間違っていると思うな。
    それは単に飢えた男のいいようにされているだけって気付かないのかね。
    ま、昔似たような時代があったので大きなことは言えませんが…
    おいらの場合は、セックスで強い性欲と寂しさを同時に発散できるという理由があったんですが。
    (なんか自分の恥部をさらけ出したような気もするが、具体的には詰まんない話になるので割愛)

    たぶん、80年代の性開放的なノリが変な方向に動いているひとがいるんだろうな、というのがあると思う。
    しかしなあ、でも、なんかもにょる部分がこういう女性たち見てると思うんだよな。
    特に、単なるパーティレベルで簡単にフェラとか持ち出す奴。
    いくら乱交パーティでも服来た段階で言うせりふ違うだろ。

    そうか、おいら、その下品さが嫌なんだな、多分。
    何処となく、セックスで主導権を得て優越感を得ようとする感覚があわないんだな。



    たまには近況でも

    最近、同人ゲームやら習慣的に書いている日記や小説やら、あるいは某ジャンプの感想やらで肝心のここの更新をサボっていたのですが(そうでなくとも更新率が一番低い)、たまにはこっちで近況でも書いておこうかと。
    実はオカルトネタそのものに関しては、結構調べてはいるんですよ。
    ついに「アストラム」に関しても用語が出たし。まあ。単に語呂がいいので「アース・アストラムズ」って書いただけなんですが。
    しかし大変なのは、その件に関する資料探しと、嘘を何処までつくかのバランス。
    あまり調べすぎると、ブレーキのかかりやすい体質が想像力をそいでしまうし、逆に嘘オンリーで書くと後で突っ込みが入ったりして、おろおろとしてしまう。
    一番理想的なのは、その本質だけはイイとこ取りして、よく考えると大嘘だった、それくらいのさじ加減が一番いいんじゃないかとおもっています。
    この作業疲れはしますが、うまく歯車がかみ合ったときはなんともいえない快楽に落ちますね。
    しかも胡散臭い出来事をもっともらしく語り、人がだまされるのも見るとしてやったりと、物書きとしてほくそえんでしまいます。

    だから、オカルトって言うのは楽しいんだよな。

    2005年7月 9日

    ダイアローグ

    「最近、管理人好きなことばかり書いてるな」
    「単に暇でやることがないんだろ」
    「いや、某めんへらゲームのシナリオで頭は一杯だと言っていたよ」
    「のわりには、北野武本やらなんやら本ばかり読んでいるじゃないか」
    「あれは一応、小説の研究代わりだとか言っていたよ」
    「それよりも、シナリオのほうが先じゃないか」
    「ちょっと、意見の相違があって、頭の整理をかねて、休んでいる感じ」
    「どうして、逃げてるんだろうな、自分もめんへらの癖に」
    「なんか、メインコンセプトの「和み」が理解できないって」
    「うーん、彼女も性格的にきついところあるからな」
    「あとは、めんへらの理解を求めるのってこんなに難しいのかって」
    「まあ、管理人もたくさんメンヘルサイト見ているけどあっているサイトは少ないと嘆いているしな。そこに絶望感じるのもしょうがないだろう」
    「でも実際は難しいよな、メンヘルの理解なんて」
    「コンセプトは立派なんだけど、実行するのは大変だということか」
    「まあ、たかがアマちゃんの管理人だから苦労すると言うことだろ」
    「ここの管理人って口だけは大きいけど肝っ玉小さいし」
    「ともかく、やることはやれっていいたいね、俺としては」
    「それは一応意識しているみたいだよ。さすがにケツは吹く覚悟は出来ているみたいだね」
    「それもできなかったら人間失格でしょう」
    「それは管理人の踏ん張りに任せましょう」



    2005年7月 8日

    音楽のある図書館

    うちの近所には図書館がある。
    その図書館は出来て5、6年経つのだが今でも新しい感じがする。

    で、ここでは環境音楽が流れている。
    学生時代とかにほかの図書館にも足を運んだが音楽の流れている図書館はそんなにないだろうと思う。

    本棚も新しいもので色もアイボリー系でまとまっている。
    そんななかをうろうろすること自体が楽しい一課となっている。
    ああ、ここの本の中で生きているんだなあというちょっとした優越感も味わえる。

    出もひとつだけ難点があって。
    それは音楽自体に酔いしれるあまり、肝心の読書に頭が回らないことである。
    ここには漫画もあるが、そのときさえ音楽に神経がいってしまってないように実が入らないと言う事態も。
    純粋に本を楽しみたいときには邪魔になると言う変なパラドックス。

    うーん、環境音楽と言うのも時には問題もんだよな。

    2005年7月 7日

    musical baton

    回ってくるわけがないと思っていたこのバトン、まさか留置生活のSASSYさんから回ってくるとは思わなかったよ。
    回ってきたからには、一応回答するのが筋なんで答えます。

    1.Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
    14.5 MB。PCを昨日買ったばかりで、まだそんなには入れてないです。

    2.Song playing right now (今聞いている曲)
    NEON GENESIS EVANGELION 3
    エヴァのCDに入っていた「Fly me to the moon」のAki jangleヴァージョン。
    基本的にカタカタした音楽のほうが精神的にはあっているみたい。

    3.The last CD I bought (最後に買ったCD)
    基本的に漫画に使っちゃうからなあ…。
    女子十二楽坊~Beautiful Energy~
    これが最後になるのかなあ。最近はレンタルで済ますことが多くなったから。
    あとは甥や姪が槙原敬之とかBoAとかよく買うんでそれを借りることもあります。

    4.Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)

    1.ゆず「友達の唄」
    ゆずえん(写真は収録されている「ゆずえん」)
    これに限らず、ゆずの歌ってのは昔の彼氏の思い出と同義語みたいなもので、聞いてるとむかしの思い出が思い返されます。(下で書いたこと台無しだがしょうがない)なんだか北川悠仁の声が切なく感じるんだよう。
    あとゆずがらみだと「恋の歌謡日」とかも思い入れがあります。

    2.ARIANNE
    「Komm,su[:]sser Tod~甘き死よ,来たれ」
    THE END OF EVANGELION ― 新世紀エヴァンゲリオン 劇場版

    (写真は収録されている「The End of Evangelion」)
    誰が歌っているのかわかりませんでした、すまん。(よく調べてみたらわかりました)エヴァと言うアニメをはずして聞いても名曲で、FLashサイトの挿入曲として入っているところもあります。一説には「カノン」と「ヘイ、ジュード」の混合とも言われていますが、あの日本語訳と音楽とのギャップにはびっくりさせられます。

    3.ワム!「ラストクリスマス」
    ラスト・クリスマス
    去年、織田雄二がカバーしていましたが、私がこれを聞いたのは藤子・F・不二雄の「未来の思い出」でした。たしかまだ80年代か90年代初頭だったんで、都会的センスがいいなと子供心にレンタルショップに駆けつけました。まあ、これにかぎらずクリスマスナンバーには「クリスマス・キャロル
    」とか名曲が多いですね。ただし、悲恋が多いのが難儀なところでもありますが…

    4.ベートーヴェン:交響曲第9番
    ピアノ・クラシック・ファンタジー ~「アランフェス協奏曲」から「第九」まで
    (写真は「ピアノ・クラシック・ファンタジー ~「アランフェス協奏曲」から「第九」まで」)
    …なんか苦しくなってきたな…
    いやこれもエヴァ(本当にあのころは熱かった)絡んでますが、それ以前にもたくさんの分野でこの曲は使われてます(言い訳にあらず)。個人的には中学時代の「日本語で歌おう」のイベントで日本語を歌わされた記憶がなんとやらというか…あと、これはマイナーですが、「文学賞殺人事件 大いなる助走」でのエンディングの使い方があれとは違った感じで気に入っています。

    5.サザンオールスターズ「愛の言霊」
    愛の言霊
    サザンと言うと「TUNAMI」とか「勝手にシンドバット」(これは古いかな)、ちょととエロいと「エロティカセブン」とかありますが、マイナー調なのが好みなんでこれ。でもカラオケだと結構つらいところあります。そういえば、これも96年だったなあ…結局、自分の音楽の原点は基本的にエヴァ回りで出来ているような気がしてきた…orz

    5.Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)
    …もうみんな回ってきたから、渡す人がいない…orz
    …妹にでも回そうかな…最近、ブログはじめたと言っているし。

    ぜえぜえ、…興味のない分野のコメントがこんなにつらいとは思わなかった…

    90年代のゆず

    最近、フェバリットばかり言っているような気がするが、なんだかやる気が出ないのでしょうがない。
    好きなことに逃げ込む、これも現実逃避の一環だろう。

    で、今日はゆず。
    まあ、個人的な事情も絡んでいるんで詳しくはかけないんだけど、これも青春を飾るフェバリットである。
    特に夏色、アゲイン2、てっぺんあたりを頂点とする90年代のゆずは神の領域に等しいほどの出来を示している。
    アルバムでいうと「ゆずえん」かな。

    人によっては「成長してないじゃん」と言う意見もあろうが、それをゆずに求めるのは間違っている。
    彼らが表現したいのは、青春時代独特の気分や感情、雰囲気なのだから、成長もくそもないと思う。
    アーティストにはいくらか種類があるが、この場合は「永遠」を表現するタイプのアーティストである。
    みんなが持っていたはずのあの日のせつなさや甘酸っぱさを、忘れることのないよう空気の缶詰のごとく詰め込んでいるのである。

    なんとなく、あの日に帰りたいなとセンチメントになるときがある。
    どうしても、忘れることの出来ないときを思い返してしまうときがある。

    そんなとき、彼らの曲は無理することなくやんわりとあの日の気分に戻してくれるのである。
    いい思い出も、つらい思い出も、じんわりと包んでくれる。
    すべては青春の一ページだったと夢に昇華してくれるのである。

    最近はCDはご無沙汰だったけど、「HOME」買ってみようかな。

    2005年7月 6日

    見てると死にたくなるような美しさ

    Dolls。
    北野武の映画のひとつ。

    前からこれの美しさは聞いていた。
    というか、あのたけしの映画だから美しくないはずとは思っていた。

    でもサイトの映像を見て死にたくなった。
    これだけきれいなもの見せられたらもう死んでもいいだろう。
    そういう類のきれいさを保っていた。

    うわ、キタノワールドに色を乗せたらあんなに残酷で完璧な世界になるんかい。
    調子の悪いときにモーツァルトの音楽を聞くと死にたくなるとある作家が言っていたがまさにその気分だ。
    もうどうでもよくなる、そんな美しさだ。
    たしかこの映画2001年だったと記憶しているが、サイトのきれいさも当時のレベルをはるかに超える完璧なセンスを持っている。

    ああ、逃げたいよ。
    あんなもん見せられちゃもうやる気がおきないよ。
    もうあれでいいじゃんみたいな、残酷さを持っている。

    しょうがないので、今日はおしまい。