学校だけが学ぶ場じゃないと思いつつ
風邪で療養してると、暇なもので色々ネットサーフィン癖があって。
普段よりもアンテナヒット率が高くて、「これつっこみてー」と言うネタが出てましていくつか下書き書いて放置状態です。
多分熱に浮かされない分、脳内の解析力が普段よりもいい状態らしいので普段は「忙しい」でスルーするネタもひっかかるみたいです。
そういう教室(管理人注:カルチャーセンターとか)に来る人に限って、「まず学校に通わなければ」そういうものはできない、と思いこんでいる人が多いようです。身も蓋もないことを言えば、最初からできる(書ける・描ける)人は、学校になんか通わない
という、いささか冷酷な真実があるのだろうと俺は思います。
たけくまメモ 2007/11/29 独学に勝る勉強はない(2)
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_a537.html
多分、才能と学校進学とは相関関係がないって話をしたいんだと思うのですが、出来る人ってのはさ、勉強しないんじゃなくて、もうすでに次の新しい段階「どうしたら、自分の能力を最大限に行かせるか」って事を知りたいんだと思うんですよね。
ただ、それで学校が役に立たない事を知るかどうか、は別問題で。
学校の勉強自体だって、創造のヒントになる事は結構あります。
その可能性を捨ててまで「高校不要論」ってのはどうなんだろうって感じ。
そもそも、ちと学ぶの前提として学校しか想定できない竹熊さんの想像力の限界を感じるのですよ、実は。
ただ、問題はこれかな。
おいら以降の10~30代くらいってのは、自らで何かを取りいれようする力がうまく作用していない気がします。
例えば、こういう例があります。
大人の目にはかけらもリアルではないケータイ小説が、「リアル」として受け入れられているのは、なんのことはない、文字通り"本当の話"であると謳うか謳わないのかの問題なのだ。しかも、「本当」と謳う際も、実際のリアリティーはどうでもいい。犬にかぶらせろ(A面) 2007/11/28 ケータイ小説の「リアル」とは何か?
http://www.hayamiz.jp/2007/11/post_4dfc.html
この辺聞いててもわかると思うけど、結構煽られないと現実把握ができないというか、嘘にだまされやすいと言うか、言われないと何も感じない脳内構造になってるんですよね。ゆとり以降特に。
これはおいらの極私的なサンプリングですが、いわゆる下流社会に生きてる人の話聞いてると、本当にテレビと雑誌の奴隷みたい発言しか出てこない。
自分の生活に対してすら語る力がないんですよ。刺激に対して美味しいかどうか言うだけ。
その辺は親の教育の荒廃からきてるのか、学校では矯正不可能なのかの議論は色々あると思いますが、結果として社会労働として使いづらい存在を生み出してしまってるのは事実。
社会人として働くには、こっちから仕掛けないと認めて貰えないと思うのですが、まずその発想が抜け落ちている。
仕事も知らないところからふつふつと出てくる、そんな発想ですよ。
自分の仕事がフローチャートでどう言う位置にあるのかすら理解できないひとがいる。
なんとなくの印象ですが「まったり」をとおりこして「ぼんやり」みたいなタイプの人が、増えてかなわないなって。

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