nagisanの記録

    2008年1月31日

    5日くらいPC開いてなかったら



    案外、ネットなんかなくても生きていけるんだと思ってしまった、ある意味でだめな私。

    これも風邪で寝込んだのをきっかけにTV三昧になったせいじゃないかと。
    なんかコタツがあるだけで幸せなんですよね...

    いや、ネットは携帯から見てたな。
    携帯で見れないネットはいらねぇとおもいつつごろごろしてましたね、風邪引いてる間。
    主に2chとかmixiとか、ついったとか。
    ゲームやんないので、だらだらぐたってる系のサイトが好きなんですよ。
    アクションするのめんどくさい、話を一生ぼーと酒飲みながら聞いてるのが理想、そんな私なので。

    いや、PC開けてやりたい事はあるんですが。
    いろいろノートや手帳は書き込みがすごくて野望の帝国状態なんですが、いかんせん身体がついていかなくなって。
    2、3年くらい前ならすぐできたことが出来なくなってて。
    最近は体の維持が最優先事項になってしまってるんですよね。変に健康志向になってるし。
    本とか買ってもすぐに読まなくなって来てるし、ちと危機感。
    最愛の趣味ジャンルの漫画も、苦痛に思える漫画が増えてきてな。前から「サラリーマン気分で続けてる漫画はこち亀だけで終わってほしい」と考えてるけど、引き伸ばし傾向が全体的に広がってるのがなあ。だめなんかね、この業界。

    なにより、趣味を趣味として楽しんでないのはやばいなあと。
    これは「綺麗に年を取る」という私の計画に対する最大の邪魔だなあと。
    最近、だめなお年寄りタレントを見てると「ああいう歳の取りかたはしたくない」と教養とか必死につけようとしてるんだよね。実は。
    年を取るとそれまでの生き方がモロに出る性格に育つから、割と怖がってる。
    現在、病み上がりの状態からの割にはうまくいってるかなと思ってるだけに困ってる。


    その辺も転職を考える一つの理由。一生つきあえなさそうな仕事で身体を消耗したくないと言うかね。







    2008年1月19日

    割と真面目に多重人格について考えてみる

    (前略)
    人格というのは誰にとっても複数あることこそ自然で、むしろ日常生活でどの「人格」が応対しても、「同一人格」として扱われて、そして多くの人が「同一人格」として見なされるほど日常生活で首尾一貫した行動を取れることこそ奇跡なのではないか。
    404 Blog Not Found 200/1/18  多重人格って普通だよね?
    http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50987332.html

    このひとは正論をばしっというかっこいいところあるけど、たまに有能すぎて論点をずらしたまま終わらせる癖がある。
    たしかに、厳密な意味で、multiple personality disorder=多重人格という病はかなり詐病的な要因はある。「個人」で行動・言動に責任が持てないところを利用して「私多重人格なんですぅ」っていう精神病患者(最近、オイラ「メンヘル」って言葉が嫌でしょうがないのでこう呼ばせていただく)がいることは事実。というかな、ニホン人って多神教の風土があるから欧米ほど一つのなにかの倫理にこだわるって要素がないから、もともと多重人格的要素を受け入れやすいってのはある。

    しかし、ちといわせてくれ。

    元記事の渡辺さんの記事でも触れてるけどdissociative identify disorder = 解離性同一性障害というのは非常にミニマムな生育的環境に大きく起因していて、普通は家族・親族レベルでフォローすべきところを専門の心理カウンセラーに委託して治療する病気なんだよね。幼少期のストレス・プレッシャーが原因で、物事を統合して考えられなくなって、個人の人格として破綻しているって話。そもそも、「Personality Switching 」と言う発想が一般的な、multiple personality disorderの話で止まっているって事に気づいていない。
    Switchするって発想が出来る時点で、解離はしてないんだよ。

    Switchできるということは、その人格の中に何らかのブラックボックスがあってある一定のルールで分岐して物事を切り分けてるわけで、それの機能がイカレてるということがわかってない気がする。
    ある種、統合失調症にも通じる、「人格崩壊」って話にも繋がるけど、CPU的役割を果たす分野で支障がおきて、物事に対し自己でコントロールした行動が取れなくなるって感じじゃないかと。


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    ビリー・ミリガントニーヘイデンの著書とか読んでるとそういう残酷がゆえにメンタルがゆがんでしまったって話は90年代以降アメリカではよくある話になってしまっている。
    これは、メンタルビジネスってのがその頃辺り以降、社会が欲するようになったってのがある。
    それだけ、宗教等他のシステムが社会に教育的影響を与えなくなったって話だけど。アメリカというのは日本ほど地域社会のネットワークってのが機能してないらしいし。隣で虐待があっても周辺が知らないってのはめずらしくない。

    正直、日本の方が地域ネットワークはマシなほうだと思う。地域にも寄るけど。

    あと、個人的にブリトニーに関しては多分軽い統合失調症状態じゃないかと思う。とにかくなにもさせちゃだめだよ。

    2008年1月17日

    1994年のNewtype

    1994年の宮崎さん
    今日は諸事情で遅れに遅れていた大掃除を実行した。
    そしたらいろんな時代のスクラップが出てきて掃除そっちのけで記事を読み倒していました。
    ああ、流石若い時はスクラップのレベルが高いわ。

    で、結構きになったのが、確かNewtype10周年の付録でこの先のアニメ業界はどうなるのかという硬派な付録。昔のNewtypeは硬派だったんだよなあ...エヴァ直前(1994年)の低迷状態に意見をのばるって感じですね。

    多くのコメンターは次回作とリンクした発言をしてたんだけど、宮崎駿とゆうきまさみは全体を俯瞰して見てたのが印象に残っててスクラップしたわけですよ。

    特にオイラ的に目を引いたのが、「ちょっとの流通の流れにおたおたするな。時代によって流通の形態の変化はあるから、浮き沈みに右往左往するな」てのと、「映画は空間と時間をつくることです。しかし、その空間が実に貧しい。世界が奥深い広大なものだと言う謙虚さがない」ってやつ。

    なんで、宮崎作品というのが魅力的なのかの一端が見出せるのと、最近のアニメ、いや映像作品の弱点をばっさりといわれちまったような、ああ、勉強不足だなと頭をたれるばかりです。

    ゆうきまさみさんのほうは、「他人のやってることは知らん」的スタンスの問題を投げかけてます。これも今はもっとひどくなってるような。なんつーか「アニメの同人化」というか、「好きでやってるからいいじゃん」って感じが最近やけにもにょるだよね。

    まあ、オイラ自身もアニメに本気出すにはどうなんだろうって領域に来てるのであんまり口だしてもしょうがないのですが。

    (2/22 何か写真が消えてたのでアップしなおし)


    2008年1月11日

    雨宮処凛と機関銃

    20080110.jpg
    最近のアエラはなんか追い詰められたニートって感じで読んでて楽しい。

    で「ゴスロリで自分を武装する」と言った感じの彼女。
    雨宮処凛
    オイラ自身はゴスロリって理解できないものの一つなんだけど、鎧って観点でする人っているんだなと。

    あとは、いじめから生き抜いたってキャラが共感できる。
    そうしないと死んでしまわずに入られないメンタリティ。
    これはある一定の層には受けるんじゃないかと。
    それほどいじめと言うのは人間社会の戦いの必然なのだ。
    弱いと死んでしまうから何かで武装する。そうしないと世界に殺されてしまう。
    そんな残酷な時代の証人のひとり。

    2008年1月 4日

    改装計画と野望

    色々と改装したいお年頃です。

    まずはこれをぼちぼちMT4に変えなくては。
    場合によってはwordPressへの変換も考える。
    あと、現状のロリポではmySQLに不安があるので、さくらに引っ越したい。
    というか、最近自分でサイトを作ってないので不安になってる要素もある。

    そしてささやかな野望。
    実は、コミックスタジオを買ったので、WEB漫画に関してもいろいろ勉強してます。
    どうしたら、紙媒体に負けないサイトを作れるかの思考。
    色々模索してますが、これを今年のライフワークにしたいなと。

    あと、ぼちぼち病気ネタをオミットしたい。
    この年になって精神病自慢と言うのもかっこ悪いし、そろそろメンヘル気質とはおさらばしたいです。
    イライラする性分や落ち込みやすい気質はあるけど、妄想とかの対処も出来るようになったし。
    あとは、時々襲ってくるエネルギー低下からくるぼんやり感かな。

    そんな一年の計なのでした。

    2008年1月 1日

    謹賀新年

    新年明けましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願いいたします。

    2008 元旦 

    と、一日遅れの御挨拶です。

    というのも、ちと体調が調子よくなくてな。
    コミケ後からこっちはちと寝たきりになっています。
    毎年年末後半位から風邪とか引いて、ごろごろしてるうちに冬期休暇を過ごすのはデフォなんですが、コミケ疲れによる疲労+年末出勤で脳も止まってると言うか。

    でも、悪態たれるのはオイラのデフォなんで新年早々ネタをつっこむ。

    逆に、投げっぱなしの意見をする奴を僕は認めない。 反論の責任を取らない奴。その受け口を設けていない奴。

    インターネットの世界で言えばいわゆる『2ちゃんねる』というサイトの中でも、
    人を否定する事で自分の存在を確かめている奴がその最たる例。
    とてもカッコ悪いし、わかりやすく言えばアホだと思う。そうなってはいけない。
    http://mycasty.jp/nishinoakihiro/html/2007-12/12-28-901517.html

    オイラ的には、

    「ああこのひとはこうやって他人に突っ込んでいかないと生きていけないひとなんだなあ」

    とある種の同類臭を感じたです。少なくとも芸人じゃないと。

    芸人と言うのは、他人を笑いに持ち込む事を仕事にする人の事。
    松本人志とか見てると、まさにお笑いの奴隷なのかと思うくらいに笑いに忠実だけどこのひとはそうじゃない。
    M-1なんてくそしょうもないものが出来た時点からお笑いと距離置くようになったけど、その原因の一つとして、「お笑いやるおれかっこいいだろ」タイプの人間が多くなって、お笑いの質そのものが下がってきたからで。お笑いはプロレスじゃないよなあみたいな気分。
    (正直アレの何処が面白いのかがわからない。多分一つ言うなら「観客が審査員気分で楽しめる」のが大きいせいかと)

    こういう人に限って、「評論できない」というんだよね。おいらもそうだけど。
    オイラの恥をあえて言うと、評論では飯が食えないと判断してるから、評論から逃げてるだけで実はこのひと評論好きじゃないかと思うんだよね。断じる俺かっこいいというか。
    だから、おすぎを評価してるんだと思うじゃないかと。なんでアレで食えるんだろうな、みたいな疑問から尊敬に行くと言うか。

    2chがどうのこうのってのは、ああメディアの枠に思い上がってるなあと。
    てか、皆が反応するほど見てないと思うよ、こいつは。
    こういう人に限って斜め読み(読んではいると思うが、偏見でまともにつき合ってない)で終わってると思うんだよね。たとえば自分のアンチスレとか。
    見てるうちはまだ勉強家だなと思うのがオイラの意見だけど。


    しかし。

    >その受け口を設けていない奴。

    普通はそんな受け口なんてないだろうに…な突っ込みがあるな。
    そういう受け口がない奴が評論不可なら、独裁そのものだろと。
    市井のひとってのが、職場の休憩所とかでああいうことをいってるもんだって想像力がたらん気がする。このひとの悲しさはここにある。