nagisanの記録

    2006年11月21日

    すがるのは誰か

    今日もまだいじめられ気分は抜けない。それどころか悪化傾向にある。
    これで明日の用事は乗り切れるのか凄く心配。
    もう、今日から目がくらくらしてて、もしかして、倒れるんじゃないかとびくびくもの。

    ところで、昨日からぼんやり考えているのは、「いじめは人格を崩壊させる」こと。
    同じメンヘルでもいじめられ経験の少ない人はなおりがはやい。
    被害妄想が本物かどうかわからなくなっていくうちに、人格がいかれていく傾向がある。
    誰もすがるものがいなくなり、頼れるものがいなくなり自閉的になっていく。
    許してほしいけど、誰も許してくれない。だからますます自我が壊れていく。
    そのスパイラルにはまっていくうちに、社会とどんどん離れていってしまう。
    これがいじめられっこがメンヘルにおおく、成功できない理由だったりする。

    もうやめたい、と、きょうちょっとやばかった。
    目が覚めたら、夜になってた。どうやら、なんか薬を飲みすぎたみたいだ。
    mixiにもわけのわからない文章があった。わけわかりません。
    なんだろ。「ずるい奴ほど、先に消えてなくなっていく」って。

    明日は犬山まで行ってきます。では。

    2006年10月11日

    アタラクシア【魂の平静】

    うーん。哲学というカテゴリーがいるかな。
    それくらい、現在西洋哲学にはまっているのだが、やはり敷居が高いというか難しい。

    でも、エピクロスの哲学は私的にヒット。

    欲望のゲージを下げて生きるのが理想ってのはそうかもしんないって感じ。ささやかな欲を満たされた隠者で生きたいなー。

    で、私の哲学。


    感情だけで生きようとするやつは馬鹿だ。

    理性だけで生きようとするやつは狂ってる。

    感情と理性のバランスを生きろってのが、私の理想です。

    2006年10月10日

    哲学に関して考えてみた

    最近はいろいろ手がけてるもので意外と忙しい。

    そんななか、真面目にものを考えたいので、図書館からニーチェの本借りて来た。多分断念しそうだから、ついでに西洋哲学のアンチョコを上乗せ。

    うんー、私実は狂気の匂いするジャンルって苦手なんですよね。こっこしかり。ゴッホやムンクしかり。なんか叫びに呼応してこっちまで狂いそうなやばさ。

    ニーチェの場合はまさに「すっぱい葡萄」のスライドが許せなくて行き着いた感じ。だからいってることは非常にわかりやすい。

    だが!それでも!

    そんなつっこみが入るんだよね。
    どっちかというとキルケゴールの厭世観が相性いいみたいです。

    さて、寝るか。

    2005年11月10日

    朝鮮人はなんで手のひらを返したのか

    道路や鉄道、上下水道、電気など基本的なインフラがほとんど整備されておらず、近代化とはほど遠い状態だった朝鮮半島へ、日本は併合後に資本注入を行ない、さまざまなインフラを整備し、農地改革を行い、それまでの朝鮮半島につきものだった汚職をなくし、教育を施し、短期間に驚くほどの近代化をさせるのに成功しました。その結果、日本統治時代に人口は二倍になり、農作物の収穫量は二倍になりました。このような事実があるわけですが、その時の生の体験をこの本の著者は語っており、様々な資料を読むよりも心に訴えるものがあります。    しかしながら、戦争が終わって日本が負けたことが分かると、朝鮮人がとたんに掌を返したように日本人を襲う姿も描かれているところにも注目したいです。
    アジアの真実 2005/1/29 私が朝鮮半島でしたこと (書評) http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/13266174.html
    たしか、「ゴーマニズム宣言」以降この手の文がやたらとでてきたんだよね。だもんで妙な意図を感じてるので今のところ半信半疑でこの手の話を見ています。(が、「嫌韓流」の件(コピーフェイク参照)でかなりの勢いで真かなと思い始めてる)真と決め打ちできないのは、なんで小林よしのりが意見するまでこの手の意見が知識人の間でいえなかったのかが見えないんですよ。殆どの知識人が全て謝罪病にかかってるとしか見えない左翼すぎるんですよ。まるで、左翼である事が知識人のステータスだといいたげに。だからこそ、中庸である(漫画界に左翼も右翼もないからね)漫画家・小林よしのりが表に出て、煽ることが出来たんだけど。 あと気になるのは、どうして、朝鮮人はこんなに自己中心的なのか。ここまで自己中心と思わてる事を気にしないのはなんて精神構造なんだろうと思う。NEVER(もう閉鎖だって)も嫌韓流からみで覗いてみたけど、ここまで自己中心的で反省しないのはどうだろうと思うよ。

    まあ、反省して歩み寄ってくれればイッツオーライな話なんであまり突っ込みたくないですね。本当のところ。

    2005年5月28日

    カルトの子

    カルトの子―心を盗まれた家族
    カルトの子

    米本 和広 (著)

    両親あるいは片親がカルト(社会的に有害だと思われる宗教・団体)にハマってしまったために、受難の人生を歩んでしまった子供達のルポである。
    よく、子どもは親を選べないとか、どの親に生まれるかによって人生の何パーセントかが決まってしまうという俗説があるがこの本はそれを完全に証明している。なぜなら、子どもというのはどうしても親の価値観の影響を避ける事が出来ないからである。そして、歪んでしまった価値観の下で育ってしまった子どもは「学校」という教育の場で、親から譲り受けた世界と戦わざるを得なくなる。なぜなら、親自身が何らかの理由でもともとの世界から逃走し、カルトの世界へ逃げ込み自らの考えを教祖様へ預けてしまったからである。
    そして、自らの手で親の下を離れた子どもも、親のコピーの如く他人やその子どもへ接してしまう事に苦悩する。それしか、感情表現の手段を知らないからである。時には破滅的人生を送るものや、再びカルトの世界へ没入していくものも少なくない。

    こんなに情報があふれているはずどうしてという意見もあろうが、個人が絶対に信用できると考える情報量というのは実はそんなに多くはないものである。多くの情報は「よそ様の事だから」「私には関係ないから」の理由で、意識的無意識的にしろ心の中で弾き飛ばしている。
    だから、発信者であるものたちはいかにして「信用してくれるか」に力を注いで情報をコントロールしている。(それが独裁的になってくるとカルトの構造そのものなんだけどね)
    カルトの世界観から生まれた子には、「信頼」という概念が無い。あるのはそのカルトに殉ずる為の「服従」であり、信用なんて言葉は「ユートピア」(最近、この概念も胡散臭くなってきたのだがこうしか表現のしようがない)の達成のための口約束に過ぎない。精神科医あたりだと、人格障害じゃないかという意見もあろうが、この場合そもそも生まれ持った世界観が完全にずれているのだ。
    大人になってからのカルト信者と違って、問題が後々まで残るのは誤った積み木をいったんボロボロまでに完全に崩さないと、再構築が出来ないからだ。かなりしんどい問題だが、それでも、人生は続いている。だから、一般人の何倍かの受難を彼等は引き受けている。


    本当の信頼を取りもどす戦い、それこそがカルトの子供達の戦場なのである。